秋田杉直物語とは? わかりやすく解説

秋田杉直物語

読み方:アキタスギナオシモノガタリ(akitasuginaoshimonogatari)

分野 実録

年代 江戸中期

作者 (伝)馬場文耕


秋田杉直物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:19 UTC 版)

妲己のお百」の記事における「秋田杉直物語」の解説

『秋田杉直物語』馬場文耕作品と言われ講談調に秋田騒動描いた作品である。秋田騒動宝暦7年1757年)の事件であり、馬場文耕宝暦8年12月29日処刑されているのでその間書かれた本である。 『秋田杉直物語』には秋田騒動首謀者とされる那河忠左衛門(那河采女)の妾である「お百」が登場する。これがお百の初出である。 那河忠左衛門の妾で実質女房お律は、元の名前をお百と言い美貌の上に書や能も得意で、風流嗜みがあってとりわけ香道達人であった京都九条通貧しい家に生まれ12歳時に祇園山村屋という色茶屋売られ14歳白人勤め始めた。その全盛ぶりは凄まじく、京都の童の唄にも歌われていた。ある晩の客は大坂富豪鴻池善右衛門だった。お百は星の運行見て時刻告げ正確だったことから、この利発さに感心した鴻池はお百を身請けする。お百は儒学仏教詩歌連歌俳諧など何を聞いて知っており、まるで鳥羽院御宇玉藻前のようであった。ところがお百は自分美貌酔って好色になり、上京してきた江戸役者津打門三郎津山)と密通する鴻池怒ったもののこれが人に知られては己の恥と二人夫婦してやる。お百と門三郎江戸移住した。しかし、娼婦あがりのお百には子は生まれず、養子もらったがまもなく門三郎病死する。お百は門三郎実兄松本幸四郎(後の四代目市川團十郎)に心惹かれ自分から口説くが、幸四郎貞実だったため義絶されてしまう。その後、お百は吉原揚屋海老屋の妻になり、そこも不縁になると田町色茶屋尾張屋後妻になる。ここで、那河に口説かれたお百はまた密通しそのこと尾張屋知れると、那河が引き取って妾にした。厳格な武士の行儀なぞ知るまい人々思ったが、お百は見事役目果たし佐竹家奥方や、那河の勤務先である松平隠岐守の奥方に香を指南して気に入られた。さらにお百は奥方達や女中達を歌舞伎遊楽を好むように仕向けた。那河が佐竹義明女色にふけらせようと妾を勧めたときも、横から口添えし、お百の妹分ということで妾が抱えられた。那河の陰謀失敗した後、お百は奉公人であると言い逃れ養子一緒に享保の打ちこわし標的になった悪徳商人高間伝兵衛の甥高間右衛門引き取られた。 お百が実在人物である、あるいは何らかのモデルがいるという証拠はない。ただ『秋田杉直物語』史実との矛盾点は多いものの、おおむね史実なぞっている。私娼から身を興し豪商の妾、役者の妻、色茶屋女将武家妻女多く男性遍歴重ねてはいるが、"毒婦"としての色彩は薄い。その後『秋田杉直物語』脚色し実録もの読本として出版された『増補秋田蕗』では、お百は下述のような稀代悪女として描かれた。

※この「秋田杉直物語」の解説は、「妲己のお百」の解説の一部です。
「秋田杉直物語」を含む「妲己のお百」の記事については、「妲己のお百」の概要を参照ください。

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