戦略的意義
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ノースカロライナ州北東部は本土とアウターバンクスの間にある大きくて浅い半塩水の海面である幾つかの入り江(sound)が支配している。全体では1つになっていて密に接続され同じ水面となっているが、概念上は幾つかの水域に分けられている。その中で最大のものはパムリコ・サウンドでありハッテラス島の直ぐ背後にある。その北に2番目に大きいアルベマール・サウンドがありほとんどバージニア州との州境近くまで伸びている。これら2つのサウンドを繋ぐやや狭いところがさらにロアノーク島によって狭窄されている。ロアノーク島と本土の間の水域はクロータン・サウンドと呼ばれている。島もサウンドも10マイル (16 km) ほどの長さがある。サウンドの一番広いところでは4マイル (6.4 km) 以上あり、島はそのほぼ半分である。島の東側はロアノーク・サウンドであり、もっと狭くて浅く、重要性も無い。 ノースカロライナ州の幾つかの都市がサウンドの岸にあり、その中でもニューバーン(New Bern、19世紀半ばでは通常 New Berne と綴られた)、ボーフォート、イーデントンおよびエリザベスシティがあった。その他にサウンドの岸に直接接していない都市はサウンドに流れ込む川から接近できた。州の3分の1ほどは水域にある。南北戦争の初年大半を通じて、これらサウンドは南軍が支配しており、州東部の海岸沿い水路による交易は妨げられていなかった。さらにこれらサウンドはアルベマール・アンド・チェサピーク運河とディズマル・スワンプ運河によってバージニア州ノーフォークと結ばれていた。これは特に重要なことであり、ノーフォークを封鎖したとしても、その裏口を抜けてノーフォークに貨物が届く限り、封鎖は完全ではなかった。1861年8月にハッテラス入り江砲台の戦いで北軍がアウターバンクスの砦を占領したとき、アメリカ海軍はその浅い海峡を抜けて喫水の深い艦船をサウンドの中に入れられなかったので、通信はそれほど影響を受けなかった。 ロアノーク島は明らかにこれらサウンドを支配する鍵だった。そこが北軍に支配されると、南軍には不可能な水陸協働作戦によってのみ攻撃できる基地を持つことになった。そこで北軍海軍の優位が確立されれば、本土海岸の全ての拠点は攻撃に対して等しく脆弱になると見なされた。南軍守備隊は不可能な状況に落とされ、戦わずして幾つかの拠点は諦めざるを得ないか、如何様にも仕えるようにその兵力を薄くばら撒くかの何れかだった。
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戦略的意義
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「襲撃部隊 (フランス海軍)」の記事における「戦略的意義」の解説
戦艦は、1921年から1922年にかけて行われたワシントン海軍会議で各国の保有隻数に制限がかけられて以来、戦略的な軍拡競争の焦点として国際的に認識されてきた。その中で、アメリカとイギリスが保有している戦艦数に隻数で対抗することができない国々は、自国より強力な艦隊を回避できることを期待してより高速な戦艦を建造していた。例えばイタリアは1937年に「コンテ・ディ・カブール」と「ジュリオ・チェザーレ」を近代化改装し、換装された機関は両艦の速力を28ノットに引き上げた。また、ドイツは1938年に速力31ノットの戦艦「グナイゼナウ」を、1939年1月に同型艦「シャルンホルスト」を完成させた。 第二次世界大戦の最初の10か月間、ダンケルク級戦艦を擁する襲撃部隊は、シャルンホルスト級戦艦に対抗するため利用できる唯一の近代的な連合国軍戦艦であった。旧態依然としたイギリス海軍の巡洋戦艦「レパルス」、「レナウン」そして「フッド」は速力こそ同等であったが、それらの水平甲板装甲は、航空爆弾および急角度で落下する長距離からの砲弾に対して不十分な防護しかなかった。 イタリアの戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」が1940年4月に、同型艦「リットリオ」も同年5月にそれぞれ完成した。7月には「カイオ・ドゥイリオ」が速力27ノットに近代化改装され、「アンドレア・ドーリア」も10月に同様の改装を完了した。ドイツでは戦艦「ビスマルク」が8月に完成した。 イギリス海軍初の近代的高速戦艦であった「キング・ジョージ5世」は1940年12月まで完成せず、しかも1936年にはイギリス防衛評議会小委員会が「航空機が戦艦を破壊可能であると想定する正当な理由はない」と結論付けてさえいた。この結論は1940年11月にイギリス自身が行ったタラント空襲によって反証されたであろうが、首相ウィンストン・チャーチルは1941年8月まで戦艦を重視し続けた。
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