戦後の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 17:44 UTC 版)
「A・E・ヴァン・ヴォークト」の記事における「戦後の変化」の解説
1944年、ヴァン・ヴォークトはハリウッドに移り、第二次世界大戦が終わると彼の作風は新たな次元へと進化した。ヴァン・ヴォークトは常々、知識の網羅的体系という考え方に興味を持っていた。初期の作品(ビーグル号)にも 'Nexialism' (ネクシャリズム)と名付けた総合的学問によって異星人の行動を分析するという話が出てくる。 またこの頃注目を集めていたアルフレッド・コージブスキーの一般意味論に興味を持ち、これをテーマとして2冊の長編『非Aの世界』、『非Aの傀儡』を書く。「非A(Null-A、なる・えー)」の「A」は「アリストテレス」の略であり、一般意味論の別名「非アリストテレス的論理」を意味し、再帰的かつ条件付きの演繹的推論よりも、直観的な帰納的推論を重視し、それを実践するための能力の開発を唱えたものである。1980年代にはこの3作目 Null-A Three を書いている。 ヴァン・ヴォークトはまた、戦後明らかになった全体主義、警察国家の内情に大きな衝撃を受けた。彼は大陸の中国を舞台にした主流小説 The Violent Man (1962年)を書いた。この執筆のために中国に関する本を100冊ほど読んだという。同時に、彼は専制君主制を擁護するような小説も書いている。具体例として、《武器店》シリーズや『宇宙嵐のかなた』がある。 ヴァン・ヴォークトは、原語で800語前後に分けられた一場面ごとに冒頭と末尾で状況の簡潔な描写を行い、その中に起承転結の山場を盛り込む独特の構成方法を特徴としている。時間軸を錯綜させることもよくある。その創作技法を考案した原点として、Thomas Uzzell の Narrative Technique と John Gallishaw の The Only Two Ways to Write a Story と Twenty Problems of the Short-Story Writer を挙げている。 アイデアは夢から生じたものが多いという。彼は睡眠中に90分ごとに起き、夢で見たことを書き残していた。 マーチン・ガードナーの『奇妙な論理』(原題in the Name of Science, 1952年)によれば、ヴァン・ヴォークトは何度となく疑似科学・宗教に騙されている。弱視に悩まされたゆえか、「眼鏡をかけなければ視力が回復する」というインチキ科学(ベイツ式近視矯正法。アメリカの眼科医ウィリアム・ホレイショ・ベイツが唱えたもので眼筋鍛錬で回復出来るという)に騙された。ガードナーがヴァン・ヴォークトに会いに行った時には、眼鏡をはずしていたため何度となく頭を壁にぶつけていた。 1950年代、ヴァン・ヴォークトはL・ロン・ハバードのプロジェクトに関与するようになっていった。彼はハバードが創始したダイアネティックス(現在のサイエントロジー教会)の西海岸支部を作った。その後ハバードとは決別したが、その信者に脅されるなどして悩まされ、数年間作家活動が停滞したと主張している。1952年に税金対策からアメリカに帰化。この時期は古い短編の "fixup" に終始した。1960年代にはフレデリック・ポールに励まされ作家活動を再開した。 1979年に映画『エイリアン』が「緋色の不協和音」に酷似しているとして20世紀フォックス社を訴え、同社は翌年示談金5万ドルを払った。1990年代に入ってから、アルツハイマー症を患い執筆不能となる。2000年1月26日に肺炎の合併症ために死去した。
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