てらうち‐まさたけ【寺内正毅】
寺内正毅 (てらうちまさたけ)
寺内正毅
寺内正毅 てらうち まさたけ
山口生まれ。陸軍軍人、政治家。父は萩藩士。戊辰戦争に従軍。明治4年(1871)陸軍少尉に任官。西南戦争で負傷、右手の自由を失う。15年(1882)公使館付武官としてフランスに留学。陸軍士官学校長、初代教育総監、参謀本部次長などを経て、第1次・第2次桂、第1次西園寺各内閣の陸相を歴任した。43年(1910)初代朝鮮総督に就任、武断統治を行う。大正5年(1916)首相に就任。シベリア出兵を断行。7年(1918)米騒動により総辞職。長州軍閥では山県、桂を継ぐ地位を占めた。
キーワード | 陸軍軍人, 政治家, 首相 |
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寺内正毅
寺内正毅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 17:19 UTC 版)
寺内 正毅(てらうち まさたけ[注釈 1]、旧字体:寺內 正毅、1852年2月24日〈嘉永5年2月5日〉- 1919年〈大正8年〉11月3日)は、明治・大正期の日本の陸軍軍人、政治家[1]。軍人としての階級は元帥陸軍大将[1]。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功一級。爵位は伯爵。
注釈
出典
- ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)「寺内正毅」(コトバンク)
- ^ 山口県が生んだ 七人の宰相展 - 萩博物館。
- ^ 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 56-57.
- ^ a b c d e 井竿 2011, pp. 157–163.
- ^ a b c 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 3.
- ^ a b 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 4.
- ^ a b 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 5.
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)189頁
- ^ 寺内文庫 - 山口県立大学日本史研究室
- ^ 宮野の宰相、寺内正毅ゆかりの地をめぐる徒歩ツアー企画 - 山口県立大学
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 元帥陸軍大将伯爵寺内正毅ヲ大勲位ニ叙シ菊花大綬章授賜ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
- ^ 『官報』第473号「賞勲叙任」1885年1月31日。
- ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
- ^ 『官報』第3388号「叙任及辞令」1894年10月11日。
- ^ 『官報』第4603号「叙任及辞令」1898年11月1日。
- ^ 『官報』第5628号「叙任及辞令」1902年4月12日。
- ^ 『官報』第6239号「叙任及辞令」1904年4月21日。
- ^ 『官報』第7157号「叙任及辞令」1907年5月11日。
- ^ 『官報』第8684号「叙任及辞令」1912年6月1日。
- ^ 『官報』第2164号「叙任及辞令」1919年10月21日。
- ^ 『官報』第1933号「叙任及辞令」1889年12月6日。
- ^ 『官報』第2828号「叙任及辞令」1892年11月30日。
- ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
- ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
- ^ 『官報』第4754号「叙任及辞令」1899年5月10日。
- ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第8347号「授爵・叙任及辞令」1911年4月22日。
- ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
- ^ 『官報』第1170号「叙任及辞令」1916年6月26日。
- ^ 中野文庫 - 大勲位菊花章頸飾・大勲位菊花大綬章受章者一覧
- ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』大正3年7月1日調
- ^ 『官報』第779号「叙任及辞令」1886年2月9日。
- ^ 『官報』第2485号「叙任及辞令」1891年10月9日。
- ^ 『官報』第3395号「叙任及辞令」1894年10月20日。
- ^ 『官報』第3852号「叙任及辞令」1896年5月5日。
- ^ a b c 『官報』第4192号「叙任及辞令」1897年6月24日。
- ^ 井竿 2011, pp. 166–172.
- ^ 濱本『東京風俗三十帖』(1998)p.35
- ^ 新城道彦 2023, p. 210-211.
- ^ 元帥寺内伯爵伝記編纂所 1920, p. 55.
- ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 121.
- ^ https://www.townnews.co.jp/0606/2019/03/08/472510.html
- ^ 平瀬礼太、「非難浴びた寺内正毅像の後釜「平和の群像」」(銅像はつらいよ十選 6)、日本経済新聞、2013年12月20日
寺内正毅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)
1882年(明治15年)に駐仏公使館付武官としてフランスに留学する。後に元帥陸軍大将・内閣総理大臣。
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