じない‐ちょう〔‐チヤウ〕【寺内町】
寺内町
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/12 01:29 UTC 版)
寺内町(じないちょう、じないまち)とは、中世後期から近世前期の日本において、浄土真宗により建設された仏教寺院・道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことである。濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持ち、信者、商工業者などが集住した。
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寺内町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:38 UTC 版)
小浜は、南西北の三方を迂回する大堀川に加えて東側に溜池を掘り、周囲に土塁を廻らして防御性を高めた城塞寺内町であった。街道ごとの三方には門を構え、東門は京伏見街道、北門は有馬街道、南門は西宮街道に通じていた。南北750m・東西400mの総構えで、小浜城とも呼ばれる。
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