大正から昭和時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 01:14 UTC 版)
1917年(大正6年)、本丸に陸軍第6師団司令部の新庁舎が落成。 1933年(昭和8年)、熊本城の現存建築が「熊本城」(種別:城郭 - 宇土櫓、監物櫓など計13棟)として旧・国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される。同年、城跡は「熊本城跡」として国の史跡に指定される。 1945年(昭和20年)7月1日、市街地の20%を焼失した熊本大空襲など度々空襲に襲われるも、奇跡的に焼失を免れる。戦後は、古城に熊本県立第一高等学校が移転した。同年12月、戦災を受けた熊本大学医学部基礎教室が一時的に二の丸の兵舎を利用した(1962年3月移転)。 1946年(昭和21年)、日本に進駐したアメリカ軍が城内に施設を作った際、車両通行の妨げになるとして、竹之丸門が破却された。同年3月、古京町無番地輜重隊跡に、化学及血清療法研究所京町研究所が設置された(1973年閉鎖)。 1955年(昭和30年)、「熊本城跡」として国の特別史跡に指定された。 1956年(昭和31年)、市政70周年事業で天守閣再建を公約に掲げた坂口主税(さかぐちちから)が市長に当選。 1957年(昭和32年)、加藤神社が新堀町から西出丸の櫨方曲輪に、熊本県護国神社が花岡山から藤崎台に遷祀。 1960年(昭和35年)の熊本国体開催と築城350年を機に、熊本市は一般からの寄付を募り、一部の篤志家からの5000万円の寄付などを受けるなどして、1億8000万円の費用をかけて外観復元に取り組み、大小天守と平櫓、塀などを再建。本丸一帯を公園として整備し入場を有料化した。天守は鉄筋コンクリート造りで、内部は熊本市立熊本博物館の分館として史料等が展示され、最上階は展望スペースとなっている。また、二の丸に水泳競技用の県営プール、三の丸藤崎台に藤崎台県営野球場が整備された。その他この年は、二の丸に各種官庁が入る合同庁舎も設置された。 1962年(昭和37年)には熊本大学医学部基礎教室が移転。建物をそのまま利用して熊本県立第二高等学校を開校したが、1968年(昭和43年)に熊本県立第二高等学校が移転。1967年(昭和42年)、跡地を整備して二の丸公園として開園した。 1976年(昭和51年)、二の丸跡の一角に熊本県立美術館設置。 1978年(昭和53年)、三の丸に熊本市立熊本博物館設置。
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