分館
分館(旧奈良家住宅)
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「秋田県立博物館」の記事における「分館(旧奈良家住宅)」の解説
本館から男潟を挟んで1km北方にある。主屋は建築年代が明らかで当初の特徴をよく残していることから、1965年に国の重要文化財に指定されている。また、周囲には明治から大正にかけて建てられた付属屋も保存されている。 奈良家は弘治年間(1555年~1558年)に大和国の生駒山麓小泉村から現在の潟上市昭和豊川に移住し、江戸時代には約10km南の現在の場所に移転したものと伝えられている。現在の旧奈良邸住宅は宝暦年間(1751~1763年)に9代善正(善兵衛)によって建てられた。このときの、棟梁は土崎の間杉五郎八で、3年の歳月と銀70貫を費やしたといわれている。建物の両端が前面に突き出す形は両中門造りとよばれ、秋田県中央海岸部の代表的な農家建築である。奈良家の場合は正面左側が上手の中門(座敷中門)で右が下手の中門(厩中門)となっている。両中門と母屋を含む面積は424.05平方メートルである。秋田県内屈指の豪農としての格式の高さを知ることができる。 また、味噌蔵、座敷蔵、文庫蔵、南北米倉、明治天皇北野小休所(移築)、和風住宅など、明治から昭和にかけて建設された奈良家の付属施設もある。これらは、2006年(平成18年)3月に登録有形文化財に登録された。 奈良家に菅江真澄らの文人も滞在していた。そのときに、菅江真澄は久保田藩の藩主佐竹義和の家臣と会い久保田藩と縁ができた。その後、彼は藩主佐竹義和と拝謁した際に、出羽6郡の地誌をつくってほしいと頼まれた。それまで、ずっと漂泊していた彼は、その後は死ぬまで久保田藩に滞在するようになる。
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分館(16館)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 07:09 UTC 版)
各分館の開館時間は午前9時-午後5時である。いずれの分館も毎月第1水曜日が館内整理日となるほかは、週7日開館を実施している。富山駅前の商業ビル内に入っているとやま駅南図書館・こども図書館は他の分館と開館時間が異なり、こども図書館は午前10時-午後6時、とやま駅南図書館は午前10時-午後9時となる。 富山市立図書館の分館一覧名称所在地延床面積(m2)開館年水橋分館 水橋辻ヶ堂129-1 132 1972年 岩瀬分館 岩瀬御蔵町1番 198 1973年2005年現行館移転 呉羽分館 呉羽町2920 173 1974年2012年現行館移転 豊田分館 豊若町3-12-25 145 1980年 藤ノ木分館 藤木1246 145 1981年 蜷川分館 赤田50 145 1982年 月岡分館 上千俵町509 145 1983年 大広田分館 東富山寿町2-1-14 150 1987年 新庄分館 新庄町1-3-16 127 1990年1996年現行館移転 奥田北分館 下新北町2-11 157 1990年 四方分館 四方142-1 132 1991年1997年現行館移転 堀川分館 堀川小泉町1-18-13 132 1991年2009年現行館移転 堀川南分館 本郷町243-45 168 1994年 山室分館 中市2-8-76 122 1999年 東部分館 石金1-2-13 118 2000年 八尾東町分館 八尾町東町2149番地 288 1938年2003年現行館移転 八尾福島分館 八尾町福島186番地3 402 1980年1992年現行館移転2015年閉館
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