なごし‐の‐はらえ〔‐はらへ〕【▽夏越しの×祓】
大祓
(夏越の祓 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/20 14:26 UTC 版)
大祓(おおはらえ、おおはらい)は、日本の神道儀式の祓の1つ。祓は浄化[注釈 1]の儀式として宮中や神社で日常的に行われるが、特に天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓という[1]。毎年6月と12月の晦日、すなわち、新暦6月30日と12月31日に行われるものを恒例とするが、天皇即位後の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後や、未曽有の疫病の流行、斎宮斎院の卜定、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあった。中臣(なかとみ)の祓とも言われる。
注釈
出典
- ^ a b 世界大百科事典 第2版「大祓」の項。
- ^ 『世界大百科事典』第2版「古代法」の項。
- ^ “中臣祓の実践と注釈”. Research Center for Traditional Culture, Kokugakuin University. 2022年6月30日閲覧。
- ^ a b 松尾大社HP 大祓式
- ^ 『日本大百科全書』「大祓」の項。
- ^ a b 『年中行事事典』p121 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ “6月、12月「大祓の儀」ご参列 女性皇族にも拡大”. 産経ニュース (2014年6月10日). 2015年3月30日閲覧。
- ^ 『年中行事事典』p120 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ “素盞嗚(すさのお)神社:新市観光協会 観光案内”. 2019年3月11日閲覧。
- ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』発行:出雲大社教教務本庁 平成元年9月 全427頁中331頁
- ^ ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮で茅の輪・ペット清祓(Aloha Street、2019年)
- ^ “夏越の祓”. 京都市観光協会. 2022年6月30日閲覧。
- ^ 【和を食す 行事食】夏越の祓え 菓子で健やか『読売新聞』朝刊2019年6月5日(くらし面)2019年6月7日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2015年6月26日掲載。
- ^ 新たな行事食「夏越しごはん」
- ^ 夏越しごはん
夏越の祓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 13:54 UTC 版)
先述の明治6年太政官布告によって休暇期間としては定着しなかった夏越の祓であるが、『拾遺和歌集』に「題しらず」「よみ人知らず」として、「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」という歌にも見える夏越の祓は、古くから民間でも見られた年中行事のひとつであり、さまざまな風習が残っている。 夏に挙行される意味として、衣服を毎日洗濯する習慣や自由に使える水が少なかった時代、半年に一度、雑菌が繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防して健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられている。また、旧暦6月晦日にはほとんどの地域で梅雨が明け、猛暑と旱(ひでり)が続く夏本番を迎えることになるが、この過酷な時期を乗り越えるための戒めでもあった。 応仁の乱で宮中行事として廃絶した以降は、神仏習合の影響で民間でも行われることはほとんどなくなった。元禄4年(1691年)に再興されたものの内侍所や一部の神社に限り、「夏越神事」「六月祓」と呼ばれて形式的な神事のみが伝わるだけだったなど、わずかしか執り行われていなかった。 1871年(明治4年)の太政官布告では、「夏越神事」「六月祓」の呼称を禁止をして大祓の復活が宣ぜられた。これにより神仏分離が行われた全国の神社でも毎年の大祓が行われるようになった。太平洋戦争後になると「夏越神事」「六月祓」の呼称も一部では復活し現在に至っている。
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