大祓 民間行事としての大祓

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大祓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/20 14:26 UTC 版)

民間行事としての大祓

茅の輪(大和神社

民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。前者は「名越」と表記されたり、「夏越神事」「夏祓」「六月祓」などと呼ばれることもあり[8]、また、月遅れを採用する事例も見られる。その場合、月の大小の兼ね合いが生じるが、晦日に意義があるため、旧暦の6月30日や新暦の7月31日に行われる。

夏越の祓

先述の明治6年太政官布告によって休暇期間としては定着しなかった夏越の祓であるが、『拾遺和歌集』に「題しらず」「よみ人知らず」として、「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」という歌にも見える夏越の祓は、古くから民間でも見られた年中行事のひとつであり、さまざまな風習が残っている。

夏に挙行される意味として、衣服を毎日洗濯する習慣や自由に使える水が少なかった時代、半年に一度、雑菌が繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防して健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられている。また、旧暦6月晦日にはほとんどの地域で梅雨が明け、猛暑と旱(ひでり)が続く夏本番を迎えることになるが、この過酷な時期を乗り越えるための戒めでもあった。

応仁の乱で宮中行事として廃絶した以降は、神仏習合の影響で民間でも行われることはほとんどなくなった。元禄4年(1691年)に再興されたものの内侍所や一部の神社に限り、「夏越神事」「六月祓」と呼ばれて形式的な神事のみが伝わるだけだった[4]など、わずかしか執り行われていなかった。

明治4年(1871年)の太政官布告では、「夏越神事」「六月祓」の呼称を禁止をして大祓の復活が宣ぜられた[6]。これにより神仏分離が行われた全国の神社でも毎年の大祓が行われるようになった。太平洋戦争後になると「夏越神事」「六月祓」の呼称も一部では復活し現在に至っている。

茅の輪くぐり

夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居の葉を建てて注連縄を張った結界内にで編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。

これは、『釈日本紀逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。多くの神社で祭神としているスサノオと習合している例が多数見られる[9]

疫隈國社 素盞嗚神社では蘇民将来説話に基づいて、茅の輪くぐりを行った後に解体し、持ち帰って個々に茅の輪にする風習が残っている。

しかし、京都新聞では、次のような記事を令和元年(2019年)に書いている。

茅の輪の"茅"を引き抜き持ち帰ってお守りとする俗信がある。しかし、本来は茅の輪をくぐった人たちの罪や穢れ・災厄が茅に遷されており、茅を持ち帰ることは他人の災厄を自宅に持ち帰ることになるので(茅の輪のカヤを抜いて持ち帰るのは)避けるべきである —  、『京都新聞2011年平成23年)6月24日24面

茅の輪に独特の形式を施しているところがある。奈良県大神神社では茅の輪はをかかげた3連になっており、周り方も他の神社とは異なり、杉の輪 → 松の輪 → 杉の輪 → 榊の輪 の順にくぐる。出雲大社の茅の輪は「○形」ではなく、「U形」をしている。これを神職が両手で持ち、参詣者は、縄とびをするように飛び越える。を跨ぐと同時に両肩にかついた茅を落とす[10]

また、ペット(主に)の茅の輪くぐりも広く行われている[11]

人形代

もともとは祝詞にある東文忌寸部献横刀時呪に由来する。『神祗令義解』によれば「凡六月、十二月の晦日の大祓には、中臣は御祓麻を上れ、東西の文部は、祓刀を上り、祓詞を読め、訖りなば、百官男女を祓所に聚め集へて、中臣は祓詞を宣り、卜部は解除を為せよ」とある。大祓の前に大和河内の文部(ふみべ)が内裏へ参内し、天皇に祓刀と人形を奉って祝詞を奏上し、天皇は自分の息を吹きかけて自身の災禍を移し憑ける。後に陰陽道でも呪詛に用いた。

現在では神社から配られた人形代(ひとかたしろ)に息を吹きかけ、また体の調子の悪いところを撫でて(このようなものを撫物(なでもの)という)穢れを遷した後に川や海に流す、ということが行われている。この「流す」行為は、後に願掛と結びつき、同時期に行われる七夕祭と結びついて短冊を流すことがある。一部に人形代や短冊、笹竹を焚き上げるということが行われるが、これはどんと焼き密教に由来する行事であり神仏習合で混用されたと考えられる。

夏越の祓の風習

6月の大祓に併せ、独自の風習が備わるところがある。

京都では夏越祓に「水無月」という和菓子を食べる習慣がある[12]。水無月は白のういろう生地に小豆を乗せ、三角形に包丁された菓子である。水無月の上部にある小豆は悪霊ばらいの意味があり、三角の形は暑気を払うため、平安時代の貴族が旧暦6月1日(氷の朔日)、冬のうちに保存しておいて食べた氷を表しているという説がある[13]

平成27年(2015年)になってから「夏越ごはん」という行事食を広める動きが出てきた。夏野菜の丸いかき揚げを雑穀米にのせたかき揚げ丼である。公益社団法人「米穀安定供給確保支援機構」が提唱した[14][15][16]

高知県下では、夏越祓のことを「輪抜け様」と呼んでいる。

脚注


注釈

  1. ^ カタルシスの本来の意味は汚れたものの体外への排泄を意味し、宗教的意味合いに転じて魂の浄化となった。祓いにより幸福感と満足が得られることで臣民の心を安定させる意図があったと考えられる。
  2. ^ 本来は宮廷内での作法で、天皇に召された官人が口を覆って「おう」と応答することを指した。なお、「称唯」の読み方は本来は「しょうい」になるが、これが「譲位」と音が似るために忌避して音を転置したとも言われている。デジタル大辞泉「称唯」の項。

出典

  1. ^ a b 世界大百科事典 第2版「大祓」の項。
  2. ^ 世界大百科事典』第2版「古代法」の項。
  3. ^ 中臣祓の実践と注釈”. Research Center for Traditional Culture, Kokugakuin University. 2022年6月30日閲覧。
  4. ^ a b 松尾大社HP 大祓式
  5. ^ 『日本大百科全書』「大祓」の項。
  6. ^ a b 『年中行事事典』p121 1958年昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
  7. ^ 6月、12月「大祓の儀」ご参列 女性皇族にも拡大”. 産経ニュース (2014年6月10日). 2015年3月30日閲覧。
  8. ^ 『年中行事事典』p120 1958年昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
  9. ^ 素盞嗚(すさのお)神社:新市観光協会 観光案内”. 2019年3月11日閲覧。
  10. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』発行:出雲大社教教務本庁 平成元年9月 全427頁中331頁
  11. ^ ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮で茅の輪・ペット清祓(Aloha Street、2019年)
  12. ^ 夏越の祓”. 京都市観光協会. 2022年6月30日閲覧。
  13. ^ 【和を食す 行事食】夏越の祓え 菓子で健やか読売新聞』朝刊2019年6月5日(くらし面)2019年6月7日閲覧。
  14. ^ 『読売新聞』2015年6月26日掲載。
  15. ^ 新たな行事食「夏越しごはん」
  16. ^ 夏越しごはん


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