地域および観光資源としてのヒスイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:58 UTC 版)
「糸魚川のヒスイ」の記事における「地域および観光資源としてのヒスイ」の解説
既に述べたとおり、糸魚川はヒスイを始めとする鉱物資源に恵まれた地域である。糸魚川のヒスイはマスコミの報道などを通じて観光資源として取り上げられる機会が増えるにつれて日本国内だけではなく世界からも注目され、宝石としての値打ちも高まった。糸魚川にはヒスイを求める観光客などが訪れるようになり、「石の愛好家にとって聖地」とまで表現されるほどになった。 糸魚川では地元のヒスイ愛好家の尽力によって、「翡翠園」が1978年に建設された。この日本庭園は「昭和の小堀遠州」と称された造園家、中根金作が設計と監督に携わったものである。庭園の敷地面積は17,000平方メートルに及び、入り口近くに置かれた70トンのコバルトヒスイ原石を始め、庭園の曲水にもヒスイ原石が配置されている。敷地内にはヒスイ美術館も併設されていて、ヒスイ製の美術工芸品を鑑賞することができる。ついで1981年には同じく中根の設計によって、「玉翠園」が開園した。玉翠園は室内から鑑賞可能な庭園として造られ、休憩所にはヒスイの一枚板を天板としたテーブルが備えられている。 1987年、当時の糸魚川市長である木島長右エ門のもとでフォッサマグナやヒスイを活用する『フォッサマグナと地域開発構想』がまとめられた。この構想のもとで1990年に造られたフォッサマグナパークに続いて、1994年にフォッサマグナミュージアムが建設された。 フォッサマグナミュージアムはメイン展示の1つとしてヒスイ原石を多く所蔵し、ヒスイ原石の生成から古代のヒスイ文化とその消滅、再発見の経緯などを映像やジオラマを駆使して多角的な紹介を試みている。さらにフォッサマグナミュージアムでは、人々が海岸などで拾得した石の鑑定も行っている。 鉱物・化石情報誌の『ミネラ』では複数回にわたって糸魚川のヒスイを特集し、探索スポット(ヒスイ海岸など)の解説やコレクターが見つけたヒスイ原石の優品を紹介している。糸魚川市内には、ヒスイを見たり触れたりすることのできる場所が市内各地に存在する。 小滝川および青海川ヒスイ峡では、ヒスイ原石に限らず他の岩石、鉱物、化石などの採取は全面禁止である。小滝川ヒスイ峡で1991年に発生した地すべり対策工事の一環として、ヒスイ以外にも様々な岩石の宝庫ともいうべき小滝川ヒスイ峡の特性を生かすべく、護岸工事に用いた約4300個の岩石をまずその岩石が形成された年代ごとに6つに区分けし、更に種類ごとに並べた学習護岸が設けられた。 親不知海岸近くの道の駅「ピアパーク」そばでは、ヒスイコレクターが週末を利用してヒスイ原石などの露店を出している。日本海から糸魚川駅に通じる大通りには「ヒスイロード」の愛称がつけられ、ヒスイ原石のオブジェが数か所に設置されている。糸魚川駅近くのヒスイ王国館(ヒスイの加工及び販売)や、コレクターが自身のコレクションを展示する私設博物館「小さな糸魚川ヒスイ原石館」などがあり、商店や事業所などの店先にもヒスイの原石展示がよく見られる。 ヒスイ観光には糸魚川市も力を入れ、地元のバス会社(糸魚川バス)は「翡翠紀行」や「縁結びより」などの日帰りバスツアーを企画している。ツアーの日程にはヒスイ海岸、小滝川ヒスイ峡、翡翠園などのヒスイにかかわる名所めぐりやヒスイのブレスレット作り体験などが組み込まれ、ヒスイと糸魚川を短時間で経験することが可能である。商工会議所などの企画により、「ヒスイネイル」(製品加工後のヒスイパウダーを利用)や「ヒスイカクテル」(糸魚川の地酒を使ったカクテル)の展開など、ヒスイを利用した商品開発も進んでいる。
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