糸魚川のヒスイ
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本項では、新潟県糸魚川市とその周辺におけるヒスイの生成と地学的見地、そして利用の歴史などについて取り上げる。糸魚川市近辺で産出されるヒスイは、5億2000万年前に生成された[1]。長い時間を経て、原産地周辺ではヒスイを利用する文化が芽生えた[2][3][4][5]。その発祥は、約7000年前の縄文時代前期後葉までさかのぼることができる[2]。これは世界的にみても最古のもので、同じくヒスイを利用したことで知られるメソアメリカのオルメカ文化(約3000年前)とマヤ文明(約2000年前)よりはるかに古い起源をもつ[2][4]。
注釈
- ^ 糸魚川以外のヒスイ産地はいずれも1970年以降に発見されたもので、質や美しさでは糸魚川産のものにはるかに及ばないと評価される[24][25]。
- ^ 朝鮮半島で見つかるヒスイ製品は、糸魚川原産のものである[2][11]。
- ^ 富山市のホームページの記載によると、竹ひごを使ってきりもみの要領で穴あけ実験をしたところ、3時間かかって1ミリメートルの穴を穿つことができたという[90]。
- ^ 寺地遺跡は、長者ヶ原遺跡と同様に玉作りと石斧の生産を行っていた[95]。1号住居跡は、日本国内で初めて完掘されたヒスイ工房跡として知られる[95]。
- ^ ヒスイの穿孔では、穴の壁面にみられる擦痕と穿孔途上の未成品にみられる中央の突起から、穿孔の際に中空の錐(ヤダケのような細い竹など)を回転させたことが推定される[91]。ただし、竹のみではヒスイを穿つことができないため、ヒスイより硬度の高い物質や水を竹とヒスイの間に入れる必要がある[91]。
- ^ 「玉造部」とも表記する[120]。弥生時代以来各地に存在した玉作集団を大和朝廷に仕える部として組織したもの[120]。
- ^ 森浩一は、この冠について新羅の影響を指摘している[141]。
- ^ 藤田(1992年)によれば、このうち青色の硬玉勾玉1個はガラスの可能性があるという[138]。
- ^ 鳥取県八頭郡若桜町に産していた「若桜ヒスイ」は、1963年(昭和38年)頃に発見されていた[203]。しかし、保護の手立てを講じる前に大半が採掘され尽くしてしまったため、天然記念物への指定ができなかった[204]。長崎県長崎市三重町の「長崎三重海岸ヒスイ」は1978年(昭和53年)に発見され、同年発見地の一帯が長崎県の天然記念物「三重海岸変成鉱物の産地」となった[205][206]。宝石としての価値は低いものであったが、報道などでヒスイの存在を知った人々が取り尽くしてしまったため、一帯にはヒスイがほとんど残っていない[207]。
- ^ wise use。ラムサール条約において提唱された考え方。湿地の生態系を維持保全しながら、その湿地を人類の利益のために持続的に利用することである[210][211]。
出典
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