園林の配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 08:24 UTC 版)
留園の中部がもともとの寒碧山荘にあたり、全園の精華であり、山水を以て勝と為す。水池が中央に居り、小さな蓬莱島があり、曲橋を架け両岸と連接す。周囲は土質仮山・明瑟(めいしつ)楼・涵碧山房(かんへきさんぼう)・聞木樨香軒・可亭・運翠閣・清風池館等を環(めぐ)らし、水に臨んで築き、錯落(入り乱れている様)として致(おもむき)有り。涵碧山房(朱熹の「一水方涵碧、千林已変紅<水面が青々としていて、林はすでに紅葉している>」という句から)は主庁(主となる広間)で、広々した三つの間であり、坐南朝北(南方に背を向け、北方に向かっているの意。風水の用語。)をなしている。広間の前には広くゆったりとした月見台があり、荷(ハス)の花の池にちなんで「荷花庁(かかちょう)」と呼ばれる。明瑟楼(酈道元の『水経注』にある「目対魚鳥、水木明瑟<魚や鳥に目を向けると、池の水や木々が精彩で美しい>」という句から)の西が主庁と接し、遠くからながめると両者の形が一艘の画舫(美しく彩色した遊覧船)のようである。清風池館(蘇軾の『赤壁賦』にある「清風徐来、水波不興<清風徐(おもむろ)に来て、水波興らず>」という句より)は池の東北の角にあり、西を向いて開け放たれており、魚の観賞に最適である。 池の東岸は留園の東部となっており、多く庭院が建てられ、それぞれ五峰仙館と林泉耆碩(きせき)之館を核としており、東西に並列され、配置が緊密に結び付いている。この建築物の外観は華麗で堂々とした作りとなっており、内部は広々として明るく、装飾と陳列した品物もまた相当に精巧で美しい。主庁の五峰仙館(李白の『観廬山五老峰』にある「廬山東南五老峰、青天削出金芙蓉<廬山の東南五老峯、青天削り出だす金芙蓉>」という句から)は江南の園林の中で最大の庁堂(広間)であり、面積の広い五つの間からなり、楠(くすのき)を柱にし、俗に「楠木庁(なんぼくてい)」と称する。広間の中は隔扇によって幾重にも空間が仕切られており、周囲はいくつかの広間敷地に囲まれている。林泉耆碩之館はまたの名を「鴛鴦(えんおう)庁」と呼び、室内は屏風によって南北二室に分け隔てられ、南室は素浄淡雅(質素で上品な趣があるの意)、北室は彫梁画棟(装飾の美を極めた建物の意)、風格は大相径庭(大きな隔たりがある)、従ってこの名を得ている。その北の庭は有名な冠雲峰・瑞雲峰・岫雲峰からなる「留園三峰」であり、その中の冠雲峰もまた北宋時代の花石綱の遺物であり、高さは約6.5メートル、亭亭玉立(すっきりと整った形をしているさま)で、江南最大の湖石となり、具体的には「痩(痩せ細る)・皺(繊細に窪んだ線で出来た溝)・漏(光が漏れる)・透(透き通る)」などの特徴を持つ。三峰の周辺には浣雲沼や亭台楼閣などもまた建造され、すべてが石を賞するところとして、自ずと一組の院落を成している。その中の冠雲楼は地勢が比較的高く、その上に登れば全園の風景を一望することができ、また虎丘をはるかに見渡すことができる。楼下には上古の魚化石がある。 留園の北の部分は広い桃・李・竹・杏等の樹木で、又一村(陸游の『遊山西村』の「山重水複疑無路、柳暗花明又一村<山重水複路無きを疑い、柳暗花明又た一村>」という句から)には葡萄や藤の棚があり、残りの部分は盆栽園となっており、田園の意味を頗る具する。又一村の西は園林の西の部分となっており、南北に狭く長く、土山をもって主となしており、自然の風光を体現している。山上に楓の木が林を成しており、その北には小川の流れが曲がりくねり、小川に臨んだあずまやは「活潑潑地」と名づけられ、いたるところに植えられた柳の木と隔て出でるひとつの桃園を「小桃塢(しょうとうう)」と呼ぶ。
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