公共事業の見直し - 千歳川放水路の中止
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「石狩川」の記事における「公共事業の見直し - 千歳川放水路の中止」の解説
このように石狩川水系は明治時代から現在に至るまで、様々な河川整備が実施されたわけであるが、近年の環境問題への関心の高まりと公共事業に対する見直し論議の風潮は全国の河川総合開発事業に多大な影響を与えた。石狩川水系も例外ではなかったが特に注目されたのが「千歳川放水路計画」である。 千歳川は先述のように水力発電開発が先行し、治水は大きく立ち遅れていた。本川にはダム建設の適地が無い上陸地より千歳川の水面が高く、堤防を建設しても出水によって容易に水害を起こす河川であった。さらに下流部では河川勾配が緩やかで地形的に石狩川本川の河水が流入しやすく、洪水の際には長期間湛水被害を生じる。このため2年から3年に一度の割合で浸水被害を伴う水害を流域にもたらしており、1981年の水害では最も千歳川流域の被害が大きかった。 既に1980年(昭和55年)支流の漁川に漁川ダムが完成していたが、下流の湛水被害を抑止するためには放水路による洪水調節が最善であると考えた北海道開発局は1982年(昭和57年)の『石狩川水系工事実施基本計画』の全面改訂時に千歳川放水路計画を盛り込んだ。30,000年前の旧石狩川流路をベースに太平洋に洪水を放流し、石狩川の河水侵入を水門で防御する計画である。だが、放水路の建設予定地はウトナイ湖を含む湿地帯があり、貴重な動植物の宝庫であることから自然保護団体や千歳川の漁業協同組合が猛烈な反対運動を展開し、流域の治水安全度を高めたい千歳市などの流域市町村と対立した。 事業はそのまま全く膠着化し、事態の打開を図る必要性に迫られたことから北海道は「千歳川流域治水対策検討委員会」を1997年(平成9年)に設置。賛成派・反対派双方の意見調整と治水対策の検討を議論した。その結果1999年(平成11年)7月、委員会は事業主体の開発局に対し放水路計画の中止を諮問、河川行政を管轄する建設省は「千歳川放水路計画」の中止を発表。遊水地を併設した堤防増強を主体とした総合治水対策を行うこととなり、2005年(平成17年)に『石狩川水系千歳川河川整備計画』に正式に盛り込まれた。この治水対策はヨーロッパが現在行っている治水対策に限りなく近い。広大な北海道だからこそ可能だとの指摘もあり、本州の河川で実現可能かは疑問の声もある。だが河川に出来るだけ介入せず治水対策を行うこの手法は岡崎文吉が目指した「自然主義」に通じ、近年の環境保護思想の高まりもあって岡崎の治水思想は再評価されている。国土交通省も今後の治水対策の一環である「自然化工法」を治水手法の一つとして検討しており、今後この手法が北海道外の一級水系で採用される可能性はある。 ダム事業に対しても公共事業見直しの機運から事業中止のダムもあり、千歳川の右支川である嶮淵川に計画されていた「嶮淵ダム建設事業」が中止されている。これは堤高44.4mのロックフィルダムであるが、堤長が1,174mあり、総貯水容量は135,100,000トンを擁する巨大ダム計画であった。北海道開発局農業水産部による「国営道央かんがい排水事業」の中心事業として計画された日本最大の農林水産省直轄ダムで、上水道・工業用水道目的も有する多目的ダムであった。この他農林水産省直轄ダムとしては「北海ダム建設事業」(奈井江川)が中止している。 治水を目的とした多目的ダム事業では『幾春別川総合開発事業』の事業縮小が2005年に国土交通省から発表され、三笠ぽんべつダムが特定多目的ダムから治水ダムに規模縮小された。この他、当別ダムについては市民団体が「無駄なダム事業」として建設の中止を要請。事業主体の北海道もダム事業再評価を行ったが札幌市・小樽市・石狩市等の要請もあり事業は継続となった。だが市民団体はダム事業撤回を目指し現在も活動している。
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