人吉城跡とは? わかりやすく解説

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人吉城跡

名称: 人吉城跡
ふりがな ひとよしじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 熊本県
市区町村 人吉市麓町上原町冨尾町
管理団体 人吉市(昭57・615)
指定年月日 1961.09.02(昭和36.09.02)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成15.08.27
解説文: 建久年間相良頼景罪を得て肥後国球磨郡多良木下り、ついで元久2年その子永(長)頼は人吉庄の地頭に補せられた。爾後相良氏人吉庄を中心として発展中世通じて南九州豪族の一として重きをなし、豊臣氏経て徳川氏至ってもこの地に封ぜられ、歴代継ぎ明治維新至った
球磨川の左(南)岸に位する高さ約30メートル余、独立状の丘陵営まれ西麓やや離れて北流球磨川に注ぐ胸川西端とする。胸川臨んで大手門を置き、西麓には一段高居館一郭を含む可成り広い地域があり、北西麓には球磨川に向って水の手門を開く、本丸丘陵の最高所にあり、北西に向って階段状に2の丸、3の丸を配し、麓まで急峻地形の利を採り入れ本丸除き城壁門等すべて石垣をもって堅めている。居館北端水の手門に臨む石垣頂部には槹出があって武者返と称せられているが、築城史上興味がある。
正治元年築城伝えられるが、盖し中世球磨川沿いのこの丘陵山城として営まれ近世入って改修城地石垣等を拡充整備したものなるべく、寛永16年完成といわれている。
江戸時代球磨城ともいわれているが繊月城の雅称をもって知られ相良氏居城として、また城の規模見るべきものあり、学術上重要な遺跡である。
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