相良氏とは? わかりやすく解説

相良氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/18 11:06 UTC 版)

相良氏(さがらし)は、武家華族だった日本の氏族。鎌倉時代肥後国人吉地頭となり、室町時代には肥後南半に勢力を拡大して戦国大名化したが、豊臣秀吉九州征伐の際に島津氏に属したため、領地を旧領の人吉のみに削られた。江戸時代も肥後人吉藩主家として続き、維新後、華族の子爵家に列する[4]


注釈

  1. ^ 後の静岡県榛原郡相良町相良および波津(はづ)、現・牧之原市相良および波津。
  2. ^ 現在の熊本県山鹿市菊鹿町相良。「泉荘(菊鹿町及び鹿本町北東部)」のうち、高橋(鹿本町高橋)・津袋など南部一帯を「本荘(高橋荘)」、内田(鹿本郡内田村)・相良など北部地域を「新荘(新庄)」といった[2]
  3. ^ 大分県中津市三光・成恒、渋味成恒中津線、福岡県築上郡上毛町成恒、などに名を残す[3]
  4. ^ 『新撰事蹟通考』に引用されている「相良系図」では、為時・時頼の2代を省いており、時理・時文の兄弟を為憲の子とし、時文に注釈して「あるいは為時に作る。伊豆守」と載せ、その子・維兼に注釈して「遠江守、あるいは時文・維兼の間に時頼あり」としている[8]
  5. ^ 八代日記』には義滋の頃から義陽の代まで、相良当主が八代と人吉とを移動した記述が頻繁に見える。
  6. ^ 旧人吉藩は現米2万5090石(表高2万2100石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[20]

出典

  1. ^ a b c d 太田 1934, p. 2541.
  2. ^ JLogos 角川日本地名大辞典 泉荘
  3. ^ 中世吉富の歴史と文化財
  4. ^ "相良氏". 世界大百科事典. コトバンクより2024年5月31日閲覧
  5. ^ 田代 1917, p. 1.
  6. ^ 堀田 1923, p. 703.
  7. ^ 田代 1917, p. 4.
  8. ^ a b c d e 太田 1934, p. 2542.
  9. ^ 小川弘和「相良・工藤系図とその周辺」稲葉継陽・小川弘和編『中世相良氏の展開と地域社会』戎光祥出版、2020年、P28-30.
  10. ^ 稲葉継陽・小川弘和「総論 中世相良氏研究の現状と展望」稲葉継陽・小川弘和編『中世相良氏の展開と地域社会』戎光祥出版、2020年、P5.
  11. ^ 稲葉継陽・小川弘和「総論 中世相良氏研究の現状と展望」稲葉継陽・小川弘和編『中世相良氏の展開と地域社会』戎光祥出版、2020年、P8-9.
  12. ^ 小川弘和「相良・工藤系図とその周辺」稲葉継陽・小川弘和編『中世相良氏の展開と地域社会』戎光祥出版、2020年、P22.
  13. ^ 小川弘和「鎮西相良氏の惣領制と一揆」『歴史』130輯、2018年.
  14. ^ 勝俣 1967, p. [要ページ番号].
  15. ^ a b 新田完三 1984, p. 686-689.
  16. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『人吉藩』 - コトバンク
  17. ^ 新田完三 1984, p. 689.
  18. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  19. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  20. ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
  21. ^ 小田部雄次 2006, p. 332.
  22. ^ a b c 華族大鑑刊行会 1990, p. 273.
  23. ^ 人吉市史編さん協議会編 1981, p. [要ページ番号].


「相良氏」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「相良氏」の関連用語

相良氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



相良氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの相良氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS