事実上の独立後とは? わかりやすく解説

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事実上の独立後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:03 UTC 版)

オーストラリア」の記事における「事実上の独立後」の解説

1901年の、事実上イギリスからの独立後もイギリス国王への忠誠からイギリス参加した戦争には度々参加した第一次世界大戦ではオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) として英仏と共にガリポリの戦い参加しオスマン帝国軍との激戦経験したANZAC軍のガリポリ上陸記念日である4月25日ANZACの日として国民の祝日となっている。 1927年にはシドニーメルボルンによる首都争奪戦のすえ、妥協案として両都市中間地点新都市キャンベラ建設し首都とした。 第二次世界大戦では、大日本帝国軍機によるダーウィン周辺などの北部都市への度重なる爆撃通商破壊作戦特殊潜航艇によるシドニー港攻撃受けたまた、ニューギニアボルネオから沖縄戦はじめとする広範囲連合国として日本軍戦いノルマンディー上陸作戦以降ヨーロッパ西部地上戦にも参加した日本占領にもイギリス連邦占領軍一員として多数部隊派遣したり、極東国際軍事裁判東京裁判)の裁判長ウィリアム・ウェブを出すなどして参加し、同裁判では昭和天皇の「戦犯訴追要求した戦後ヨーロッパ人口激減経済復興経験したこともあり、白人移民減り続けた国力基礎となる人口増加鈍化したため、1980年代から白豪主義撤廃し世界中から移民受け入れる「多文化主義」へと移行した朝鮮戦争ベトナム戦争にも積極的に参加しアメリカと共に戦いその後ベトナム難民数多く受け入れた1975年ニューギニア信託統治地域パプアニューギニアとして独立した英米協同歩調取った2003年イラク戦争にも参加したこのように距離は離れているものの、同じアングロ・サクソン英米移民出発地である他のヨーロッパ諸国との結びつき依然として強い。もっとも地政学的要因から、必ずしも北半球欧米諸国一員として行動していられない場面も多い。特にフランスによる南太平洋ムルロア環礁での核実験の際には、北半球欧米諸国黙認するなかで、隣国ニュージーランドと共に抗議した。このときは市民の間にもフランス製品対す不買運動広がり大都市フランス有名ブランド店には一時休業余儀なくされたところもある。 2013年MIKTA加盟した

※この「事実上の独立後」の解説は、「オーストラリア」の解説の一部です。
「事実上の独立後」を含む「オーストラリア」の記事については、「オーストラリア」の概要を参照ください。

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