1980年代からとは? わかりやすく解説

1980年代から

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 04:05 UTC 版)

松本典子」の記事における「1980年代から」の解説

1984年8月第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」にて網浜直子ダブルグランプリ獲得した。このときの応募総数歴代最大18325人だった。ミス・セブンティーンコンテストは、姉が持って来た雑誌載っていたもので、姉から勧められたものだったコンテスト審査員には、これに落ちた地方公務員電話交換手目指そうと思うと答えたという。ニックネームは「のりりん」の他、本名佐藤美和子因むサミー」などだった。デビュー時キャッチフレーズは「とどくかな、笑顔。」で、郵政省の「タイムカプセル2001」とタイアップした。 1985年シブがき隊主演映画バロー・ギャングBC』に出演した同年3月21日アイドル歌手として春色のエアメール」でCBSソニーよりデビューしたデビュー曲候補には「春色のエアメール」の他、カップリングとなった秘密の17才」、後に1stアルバム収録された「なるほどネ!!」があった。シングル発売時には松坂屋上野店等の屋上にてイベント行っていた。代表作には「さよならと言われて」、「儀式(セレモニー)」等だが、「さよならと言われて」でTBS『ザ・ベストテン』に「今週のスポットライト」として登場するも、全ての曲でベスト10へのランクイン1度果たせなかった。本人として何としてでもベスト10入りしたい! という強い希望があり、ベスト10入りするまで、仕事の際は車移動をしないという願掛けをしていたという。 1987年に車移動解禁となるが、その分熱狂的なファンによる「追っかけ」が激しくなる本人としてベスト10歌手諦めざるを得ない状況加え家族から引退勧められており、精神的に安定であったため、追っかけ向かって「ちゃんと生身女性恋愛しよう!」と呼びかけてしまい、大量ファン離れ起こってしまった。しかし、そのこと路線変更に繋がる。アイドル活動傍らフジテレビ系バラエティ番組志村けんのだいじょうぶだぁ』にレギュラー出演し、志村けんと息のあったコント披露しいしのようこと共に大看板となった1992年当時ヤクルトスワローズ内野手だった笘篠賢治結婚した結婚指輪800万円だった。結婚後は主婦子育て専念し原則として休業したが、ときおり本名で夫とトーク番組ゲスト出演したことがあった。

※この「1980年代から」の解説は、「松本典子」の解説の一部です。
「1980年代から」を含む「松本典子」の記事については、「松本典子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1980年代から」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1980年代から」の関連用語

1980年代からのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1980年代からのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの松本典子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS