アイドル歌手として
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1985年(昭和60年)4月20日のデビュー以降、筒美京平による作曲作品が多く組まれた。同年9月28日に発売された4枚目のシングル「Temptation(誘惑)」がヒットし、この年の賞レースの各種新人賞を数多くもたらした。翌年2月5日に発売された「1986年のマリリン」では、“へそ出しルック”で激しく腰を振って踊る歌唱姿が大きく注目を集め大ヒットとなった。本田は元々アイドルと呼ばれることに抵抗があったようで、アーティストと呼ばれたいと発言したこともあった。また、「Temptation(誘惑)」が各種ランキングの10位以内に届かなかったのが悔しくてさらに強く個性を出そうとした結果、より過激な演出になったのだという。後年の本人談では、10代の当時は大人っぽく見えるよう背伸びをしていた面もあると語っている。 同年7月23日発売の「HELP」は公共広告機構(現:ACジャパン)のいじめ防止キャンペーン「しらんぷりもいじめ」のテレビコマーシャルで使用された。1987年(昭和62年)放送のドラマ『パパはニュースキャスター』には本人役で出演し、主題歌に採用された「Oneway Generation」(同年2月4日発売)はドラマ自体の好評にも支えられ人気を博した。同じ年の映画『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』も歌手の役ということで引き受け、劇中事故で亡くなったレーサーの兄に捧げて「孤独なハリケーン」(9月9日発売)を歌った。この3曲で本田にとってオリコンランキング最高位である2位を獲得した。
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