上映中止要請
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前年の『あゝ決戦航空隊』以来2度目の岡田社長を本部長とする特別動員対策本部が設置され、岡田社長が審査委員長になり、全封切劇場で独自の宣伝を考えてもらい、封切劇場の興収ベストテンを決め、豪華賞品と賞状を送った。また「乗客の救出シーンのアイデアを一般から募集します」、「夢の超大作」などと広告を打ち、小中高校生などに標的を合わせた大宣伝キャンペーンがなされた。宣伝費は東映創立以来の最高額9500万円。国鉄vs東映が少し前までお互いプロ野球チームを持っていたことにかけて「珍オープン戦」などと当時の週刊誌に盛んに取り上げられ、宣伝効果は相当で、僅かに試写を観た映画関係者からの評価は高く、東映関係者は「絶対にくるだろう」と信じて疑わず、コケる予想をする者はいなかった。「爆弾を仕掛けられたひかり109号が、浜松駅を通過と同時に平均時速を84キロに落とした。残り919.4キロの博多駅まで何時間かかるか?」というクイズを出したところ、約26,000通の応募があり、数秒出演した多岐川裕美が銀座の東映本社で抽選会に臨み、「約11時間」と正解した中から当選者を選び、東京の小学6年生が1等になり、撮影に使ったミニ新幹線が贈られた。国鉄はたぶん映画は出来ないだろうとタカをくくっていたが、東映が大掛かりなセットを組んで撮影を始め、国鉄自慢の新幹線を爆破するとあって「こりゃいかん」と驚いた。公開直前の1975年6月23日に国鉄の山崎忠政広報部長から東映に抗議文書が送り付けられた。抗議内容は「十数年前の『天国と地獄』を観た者が、映画同様のテクニックで誘拐殺人事件を引き起こしたことがある。『新幹線大爆破』については、当初から、この設定が大きな社会不安をもたらすことを危惧して、口頭で中止を申し入れたが、再度この映画の上映計画を中止することを強く要望する」というもので、国鉄サイドとしては、下手に騒いで宣伝上手の東映に逆手に取られてはと心配して一時沈黙していたが、もう我慢ならないと判断したといわれる。国鉄や公安関係者は苦々しく感じていたという。東映は既に5億3000万円もの制作費を投入しており、「冗談じゃない。中止などできるもんですか。国鉄サンが協力してくれないからミニチュアを作って撮影したんですから。社会不安を惹起するかどうかも充分に検討した上なんだから」などとカンカンに怒った。また本気の抗議書なら藤井松太郎国鉄総裁発東映岡田社長行きじゃないと意味がないんじゃないかと、形式上のことだろうと推察された。しかし国鉄は「東映さんには、よく考え、反省して頂きたい」と凄み、東映のポスターを全国の駅から締め出し、ミニチュアの新幹線や駅は肖像権侵害で告訴も辞さぬと脅した。
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