三好長慶との戦いとは? わかりやすく解説

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三好長慶との戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:57 UTC 版)

足利義輝」の記事における「三好長慶との戦い」の解説

ところが、細川晴元家臣で、畿内一大勢力築きつつあった三好氏当主三好長慶晴元裏切って細川氏綱陣営転属した。その理由は、晴元同族三好政長重用し長慶討伐ようとしたため、主君によって「逆臣」とされてしまったことにあった天文18年1549年6月24日長慶摂津江口で政長を破り討ち取った江口の戦い)。これにより、政長を支援していた晴元立場悪くなり、同月28日に義義晴晴元伴われ近衛稙家久我晴通などとともに京都脱出し六角定頼頼り近江坂本退避した京都離れる際、義今出川御所近傍にあった相国寺御所留守命じ相国寺上意を受け、御所留守番昼夜果たした。この時期、義自らが御内書発給し始めているが、まだ若年と言うこともあり大御所である義晴存命中は義晴名義の、その没後生母である慶寿院御内書発給している例がある。 7月19日長慶が氏綱を奉じて上洛果たした。義藤方打撃与えるため、松永久秀の弟・松永長頼内藤宗勝)は氏綱に与えられたと称して山科七郷横領したまた、長頼は今村慶満とともに配下進士氏所領である石田小栗栖押さえた長慶の弟・十河一存また、伏見宮家の上三栖庄を押さえるなど、三好方は京都荘園次々押さえた。 義としてはすぐに帰京できるという考え持っていたが、晴元長慶戦い決着つきそうになかった。そのうえ、同年暮れから義晴が「水腫張満」という全身むくんだ状態の病に臥し翌年天文19年1550年正月になって改善しなかった。義は父のためにすぐにでも京に戻ろう考え晴元とともに三好方への反撃準備開始した2月、義義晴とともに東山慈照寺近く中尾城築いたまた、3月7日には坂本出て穴太進んだ次いで4月には京と近江を結ぶ北白川にも城塞築いた5月4日義晴穴太にて死去した(『万松院殿穴太記』)。 この時、義穴太から比叡辻宝泉寺後退していたため、その葬儀立ち会うことはなかった。義宝泉寺御座所とし、細川晴元六角定頼連携しつつ、反撃機会待った7月14日三好勢が義拠点である京の東郊外に侵攻した細川勢らは戦意乏しく、京の東郊外から出撃せず、晴元戦わず戦線離脱し越前へと向かった三好勢細川六角勢が出撃してこなかったため、山崎へと撤退した11月19日準備整えた三好勢4が京へとなだれ込み細川六角勢は応戦したものの、三好勢敗退した。義中尾城指揮取っていたが、同月21日三好勢押し寄せてきたため、中尾城自焼して、近江堅田へと逃れた中尾城の戦い)。 天文20年1551年1月末、政所頭人である伊勢貞孝が義強引にに連れ戻して三好方との和睦図ろうとするが失敗した。だが、貞孝は奉公衆進士賢光らを連れて30日に京に戻り三好方に離反した。これを知った六角定頼勧めにより、2月10日に義朽木移った3月14日京都の貞孝の屋敷において開かれた宴会において、進士賢光が長慶3度わたって刀で切りつけた。だが、賢光による暗殺劇は長慶に軽い傷を負わす程度終わってしまい、賢光はその場自害した。これは義が貞孝の屋敷長慶呼ばれるとの情報得て進士賢光を伊勢邸で行われた宴席潜入させ、長慶暗殺しよう目論んだものであった。 翌15日三好政生香西元成幕府軍丹波宇津から出撃し、東山一帯焼き払ったが、16日には三好長虎率い三好軍2がこれを撃退した長慶暗殺未遂事件とこの幕府軍京都攻め明らかに連動したものであり、義策動であった考えられる5月5日、親長慶派の河内守護代・遊佐長教時宗僧侶・珠阿弥暗殺された。だが、珠阿弥は「敵人」に買収されていたといわれ、この事件も義仕業とされるなど、畿内不穏な空気漂った7月三好政生香西元成主力とした幕府軍が再び、京の奪回図って侵入した。だが、松永久秀とその弟の松永長頼によって破られた(相国寺の戦い)。

※この「三好長慶との戦い」の解説は、「足利義輝」の解説の一部です。
「三好長慶との戦い」を含む「足利義輝」の記事については、「足利義輝」の概要を参照ください。

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