七宝制作開始と2度の挫折とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 七宝制作開始と2度の挫折の意味・解説 

七宝制作開始と2度の挫折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 07:57 UTC 版)

並河靖之」の記事における「七宝制作開始と2度の挫折」の解説

靖之の七宝制作契機には諸説あり、オリバー・インピーは著書で「並河明治元年1868年)、尾崎九兵衛明治4年京都七宝会社創立)の錦雲軒派と共に七宝製作を始めた伝えられる」と記している。あるいは、明治5年1872年京都三条加賀屋敷で尾張出身桃井義三郎七宝制作開始しており、靖之の七宝制作もこれが契機となったという説もある。他にも、加賀屋敷で七宝会社設立したのは明治4年1871年)で、並河靖之大井善臓、水谷龍造らが関わったという説もある。この説では、桃井義三郎後藤文造の名前は記載されていないまた、靖之の右腕務めた中原哲泉による伝承では賀陽宮お付きとなった三郎が靖之に名古屋盛んだった七宝製造勧めたといわれている。 靖之は明治6年1873年)秋ごろから三郎10円ずつ出しあって資本金とし、自分たちの七宝制作所を起こす。この10円前年結婚した妻の持参金で、なけなしの金だったという。苦心の末同年12月処女作鳳凰文食籠」を完成させる。この作品当初朝彦親王献上されたが、第一号の記念品だったため、後に他の作品交換してもらい、現在も並河靖之七宝記念館伝わっている。翌年春過ぎには製造のめどが立ち、同業者錦雲軒の世話販路開拓し本格的に創業開始する。ところが、七宝業に見込があると見るや、靖之が少し病で寝込んだ隙に職工連れて出て行ってしまう。困惑した靖之は錦雲軒に相談すると、辞めずに続けるよう励まされ残った職工2人細々再開する当時日本工業未熟であったので、明治政府貴重な外貨獲得手段殖産興業)の一環として日本の伝統工芸品欧米への輸出奨励していた。靖之もこの流れ乗り明治8年1875年)の京都博覧会作品出品して銅賞受賞する自信をつけた靖之は、西洋博覧会積極的に出品するようになり、明治9年1876年)の1876年フィラデルフィア万博銅賞牌、翌年第1回内国勧業博覧会賞牌翌々年1878年パリ万博銀賞受賞する明治10年から朝彦親王の第4王子多田宮(のちの梨本宮守正王)と、第5王女絢姫(のちの竹内絢子)を相次いで自宅預かり2年教育係務めたものの、横浜外国商館ストロン商会から商談舞い込む七宝専業決意し明治11年末に宮家辞す。しかしその後宮家との関係は続き朝彦親王薨去した後も月に10近く御殿参内の上対面し久邇宮東京京都行き来する際はそのお供をしている。明治12年1879年京都府博覧会品評人、明治14年1881年画学御用掛を務めるなどキャリア重ねるが、同じ14年頃、ストロン商会から品質悪く買い手つかないとの理由契約破棄される京都七宝大きな影響与えたワグネルは、既に靖之の内国勧業博覧会出品作について、器の質が悪く雑で、色彩鈍く図柄七宝適しておらず、京都刺繍裁縫などを模範勉強すべきだ警告していたが、これが現実のものとなった。靖之の面目丸潰れとなったが、一方で気の毒に思ったストロン商会は靖之に勉強させるため、同年東京開かれた第2回内国勧業博覧会に連れ出した。靖之はここで尾張七宝の質の高さを目のあたりにし自分井の中の蛙だったことを痛感京都に戻ると直ち職人約半分減らして事業縮小する。靖之は自費で再び上京し毎日博覧会通い詰め七宝訪ねて日光など各地巡り見聞広めて帰京すると、今度全ての職工暇を出し自分と新たに雇った5人の少年だけで再出発する

※この「七宝制作開始と2度の挫折」の解説は、「並河靖之」の解説の一部です。
「七宝制作開始と2度の挫折」を含む「並河靖之」の記事については、「並河靖之」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「七宝制作開始と2度の挫折」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「七宝制作開始と2度の挫折」の関連用語

1
14% |||||

七宝制作開始と2度の挫折のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



七宝制作開始と2度の挫折のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの並河靖之 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS