加賀屋
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株式会社加賀屋(かがや)は、石川県七尾市の和倉温泉に本社を置く、旅館業を営む日本の企業。および同社が運営する温泉旅館の名称。企業としての加賀屋は和倉温泉で4館、飲食店などを全国に8軒運営しており、宿泊施設としては「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で1位に度々選ばれている[1]。このほか台湾の北投温泉に屋号を使った日勝生加賀屋がある[2]。
- ^ a b 加賀屋、オードブル受注販売へ「日本一」の接客で旅館運営受託も/「中小規模が主流になる」『日経MJ』2021年7月5日ライフスタイル面
- ^ 日勝生加賀屋(2021年7月17日閲覧)
- ^ “小田 絵里香(旅館若女将)”. 情熱大陸 (2017年12月24日). 2019年8月25日閲覧。
- ^ “加賀屋、37年連続1位ならず「日本のホテル・旅館100選」”. 日本経済新聞. (2016年12月14日) 2018年2月23日閲覧。
- ^ おかげさまで、第43回『プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選』において、総合第一位に選ばれました。 - 加賀屋(2018年2月23日閲覧)
- ^ “情熱大陸:創業111年目の老舗旅館を取り仕切る若女将に密着!「日本一のおもてなし」の極意とは”. 毎日新聞. (2017年12月21日) 2019年8月25日閲覧。
- ^ “日本の旅館は、なぜ台湾でウケるのか? 成功する「日本式」の輸出、石川・加賀屋の台湾進出”. 東洋経済オンライン (2013年11月21日). 2021年4月4日閲覧。
- ^ “石川の「加賀屋」休業 老舗旅館、地震で被害(共同通信)”. Yahoo!ニュース. 2024年1月15日閲覧。
- ^ a b “和倉温泉 加賀屋 | 令和6年能登半島地震による休業のお知らせ”. www.kagaya.co.jp. 2024年1月15日閲覧。
- ^ “平成30年度卓越した技能者の表彰 被表彰者名簿” (PDF). 厚生労働省. p. 32 (2018年11月11日). 2019年3月24日閲覧。
- ^ “石川)「現代の名工」に加賀屋女将の小田真弓さん”. 朝日新聞デジタル. (2018年11月15日). オリジナルの2019年8月25日時点におけるアーカイブ。 2021年4月4日閲覧。
- ^ “老舗旅館「つるや」が加賀屋グループに事業譲渡…福井県のあわら温泉 事業承継打診し合意、屋号変えず雇用継続”. 福井新聞 (2022年5月13日). 2022年5月13日閲覧。
- ^ “石川の「千里浜レストハウス」 北陸鉄道が事業譲渡”. 日本経済新聞. (2020年11月2日) 2021年4月4日閲覧。
- ^ “能登風土に経営委託 千里浜レストハウス”. 北國新聞 (2020年11月11日). 2020年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月4日閲覧。
- ^ “能登の玄関口 里海味わって 千里浜レストハウス きょう新装”. 中日新聞Web. (2021年2月11日). オリジナルの2020年2月22日時点におけるアーカイブ。 2021年4月4日閲覧。
- ^ “株式会社レグレット津幡アトリエ”. 津幡町. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “【石川】津幡に菓子工場完成 辻口さん監修、見学OK”. 中日旅行ナビぶらっ人(中日新聞). (2015年3月11日) 2019年3月24日閲覧。
- 1 加賀屋とは
- 2 加賀屋の概要
- 3 概要
- 4 グループ企業・施設
- 5 脚注
加賀屋(八代家)
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八代 加代(やしろ かよ) 演 - 東てる美(少女期:志喜屋文) おしんの二度目の奉公先である酒田の米問屋・加賀屋の長女。おしんとは同い年で、わがままで気が強く両親など周辺から甘やかされていた大店のお嬢様であり、奉公入り当初はおしんのことを気に入らずに嫌っていたが、ふとした喧嘩や命を助けてもらったことで改心してからは、実の姉妹のように仲良くなった。 青春期は画家になることに憧れて加賀屋を継ぐことを拒否。大正デモクラシーの風潮の中、『青鞜』を読み、社会主義に理想を抱き、偶然出会った農民運動家の高倉浩太に恋し、浩太を追うように加賀屋から出奔。東京でしばらく浩太と同棲していたが、浩太はすぐに加代の元を離れていった。 再会したおしんから妹の小夜の死を知り、酒田に帰郷する。あくまでも一時的な帰郷のつもりで、その後も浩太を思って家出しようとしたが、くにが倒れた事態と浩太から連絡がなかった(偶然、おしんは浩太と再会できたが、彼から口止めされていた)ために断念する。 帝大卒の政男と結婚してからは彼のやり方に不満を抱き、女一人で加賀屋を引っ張っていく。おしんが佐賀から家出してきて、くにの臨終を看取った後、事情を知った上で、酒田で加賀屋が保有していた空家をおしんに譲って、食堂兼飲み屋を開店させる。加代は夫も加賀屋もそっちのけで手伝ったため、結局おしんが店を閉める一因となる。 だが、おしんが伊勢に移った後に、政男が手を出していた商品相場で多額の借金を抱えて自殺。加賀屋は破産、家族で東京に夜逃げするが、両親も相次いで死去。息子の希望を抱え娼妓に身を落としてしまう。 浩太や健の協力で上京したおしんと再会するが、娼館への借金の利子が増えて1000円にもなっており、仕事をやめられない状態だった。おしんと再会した夜、飲酒から成る胃病のため喀血し、血がのどに詰まり、昭和6年(1931年)窒息死。一人息子の希望はおしんが引き取り、遺骨はおしんが伊勢に建てた墓に両親とともに納められた。 加代と浩太の関係を巡っておしんが結果的に二人の仲を裂いたことは、おしんの一生の後悔になった。 八代 政男(やしろ まさお) 演 - 森篤夫 加代の夫。加賀屋の婿養子で八代希望の実父。東京帝国大学卒。 婿養子であることを引け目に感じ、また加代が自分を好きでもないことも察しており、外に出て女を作って子供を産ませるなど放蕩三昧の生活を送る。そのため、夫婦仲は悪化した。くにの死後、仲人を介して詫びを入れ、加賀屋に戻る。加賀屋に戻ってからは加代を立て、おしんの店を手伝うのも認めていた。 昭和恐慌で米問屋の経営、株取引などうまく行かず商品先物の取り引きでも失敗し、加賀屋の破産の責任を取り昭和5年(1930年)春に自殺した。 八代 くに(やしろ くに) 演 - 長岡輝子 加代の祖母。加賀屋の「大奥様」。おしんの理解者。広い心で、幼いが向学心のあるおしんを見守る。 おしんの奉公人としての働きぶりや簡単な読み書きができ、向学心があることを知って、信頼を置くようになり、加代と一緒に勉強を教え、帳簿の見方や花嫁修業としてお茶や生け花も身につけさせ、おしんがこれから生活していく術を教えてくれた大恩人でもある。 加代の家出の件では心を痛め、加代が帰郷直後に再度家出しようとした時に心臓病で倒れる。おしんが佐賀から家出して山形の実家に帰った頃は危篤に陥っており、駆けつけたおしんに加代のことを頼んだ翌朝、76年の生涯を閉じた。 八代 みの(やしろ みの) 演 - 小林千登勢 加代の母。当初、おしんにも優しかったが、娘の加代と奉公人のおしんに対するくにの考えにズレが生じ一時冷たくなる。 しかし、おしんが加代の命を助けたことで改心し、実の娘のように愛情を持って接するようになる。 加賀屋破産後、3か月入院した後、東京で死亡。上述の理由で加代は死目にあえなかった。 八代 清太郎(やしろ せいたろう) 演 - 石田太郎 加代の父。母親であり加賀屋の経営を取り仕切っているくにには頭が下がる若干頼りない性格。 しかし、娘の加代のことになると強気に。上記のみのと同じく途中からおしんを優しく接するようになる。 加賀屋破産後、心労がたたり東京で脳卒中で死亡する。 八代 小夜(やしろ さよ) 演 - 大塚ちか子(乳児期:宮城望) おしんが子守をした加代の妹。おしんが加賀屋を去った2年後に肺炎で亡くなる。 番頭 演 - 小野泰次郎 加賀屋の番頭。 きく 演 - 吉宮君子 加賀屋の奉公人。おしんの少女編に登場する先輩。実家は漁師。 ウメ 演 - 佐藤仁美 加賀屋の奉公人。おしんの少女編に登場する先輩。実家は商人。10歳の頃から加賀屋に奉公している。 さく / たま 演 - 今野博美 / 井沢明子 加賀屋の奉公人。おしんの青春編に登場する。 若い衆 演 - 鈴木よしひろ、大森一 加賀屋で働く男たち。
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