レイバン以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:21 UTC 版)
レイバンはドイツからアメリカへ移民してきた2人の青年の野望から始まった。アメリカでの成功を夢見ており、眼鏡職人として働き、眼鏡の輸入販売を行っていたジョン・ジェイコブ・ボシュに、当時家具職人として成功していたヘンリー・ロムが60ドルを出資、この資金を元手にボシュは眼鏡店を開業するが、当初の経営状態は必ずしも良好とはいえなかった。 ある日ボシュが道端に転がっていた硬質ゴムのかけらを拾い、「この素材を眼鏡のフレームに使うことはできないだろうか?」と考えたことにより事業は好転する。当時眼鏡フレームとして一般的だったのはアメリカ産の動物の角であったが、衝撃などに対して非常にもろいという欠点があった。一方で生ゴムに硫黄を30~40%加えて硬化させることにより製造されるこの素材は、軽く丈夫で、それまでの角でできたフレームとは比べ物にならない高い品質を誇っていた。後に「バルカナイト」と呼ばれることになるこの素材が、ボシュロム社の基盤を築くことになったのである。 1866年になると、それまでの「ジェイ・ジェイ・ボシュ・アンド・カンパニー」という社名を「バルカナイト・オプティカル・インストゥルメント・カンパニー」と改名。バルカナイト製フレームは爆発的なヒット商品となり、彼らの会社を一躍有名にした。その後、1874年には光学分野にも進出し、顕微鏡の製造を開始。さらに写真機用レンズの製造も手掛けるようになると社名を「ボシュロム・オプティカル・カンパニー」に変えたが、この頃には眼鏡フレームのみならず、様々な分野で成功を収める優良企業へと成長し、アメリカでもトップレベルの光学メーカーに成長した。そうして間もなく、ボシュロム社はパイロット用サングラスの開発を手掛けることになる。 依頼してきたのは、1923年5月に北米大陸無着陸横断飛行に成功したアメリカ陸軍航空隊のジョン・マクレディ中尉であった。彼は飛行中に高空域における強烈な太陽光線を浴びることで、それを原因とする眼球疲労と視力低下、そして頭痛、吐き気に襲われるという悩みを持っていた。この経験から、マクレディ中尉はボシュロム社にパイロット用のサングラスの開発を依頼した。それ以前にもパイロット用のゴーグルやサングラスは存在していたが、その多くは単なる風避けが目的であったり、眩しさをごまかす色ガラス付きの眼鏡に過ぎない代物であった。劣悪な状況で飛行しなければならない飛行士を救うために、ボシュロム社はパイロット用のサングラスの研究開発をスタートさせた。しかしながら、目を太陽の紫外線から保護しつつ、対象物をしっかりと見ることのできる高い視認性を保持するレンズの開発は難航し、完成までに6年という長い年月を費やすこととなる。 こうして1929年に誕生したパイロット用のサングラスには、のちに「レイバン・グリーン」と呼ばれ人気となったグリーンのレンズ(#1と呼ばれた最初のグリーンレンズは、現在のグリーンレンズよりも色の薄いものであった)が採用され、フレームも後のサングラスのデザインに大きな影響を与えることになる「ティアドロップ・シェイプ」を採用。翌1930年には、合衆国陸軍航空隊がこのモデルを「アビエーター・モデル」として制式に採用した。このことによりサングラスはパイロットを象徴する存在となり、アメリカの強大な航空技術を背景に、世界中の空を駆け巡ることとなった。
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