モータースポーツの安全性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 22:00 UTC 版)
「1955年のル・マン24時間レース」の記事における「モータースポーツの安全性」の解説
1955年の5月・6月にはモータースポーツ界にとって衝撃的な死亡事故が相次いだ。5月26日にはF1の2年連続王者アルベルト・アスカリがテスト中に事故死し、5月30日にはインディ500で3連覇を目指したビル・ブコビッチが多重衝突事故で死亡した。そして6月11日にル・マン24時間レースの大惨事が発生した。 これらの事故により自動車レースを「危険」とみなす論調が国際的に広まり、フランスとイタリアでは一時モータースポーツが自粛され、スイスではレース開催を禁止する法案が可決された。F1世界選手権はフランスGP、ドイツGP、スイスGP、スペインGPの4戦が中止となり、メキシコの公道耐久レース、カレラ・パナメリカーナ・メヒコがキャンセルされ、イベント自体が打ち切られた。 しかし2年後の1957年には、ル・マンと並ぶ人気イベントだった公道レースのミッレミリアで再び観客を巻き込む死亡事故が起こり、コンストラクターのフェラーリの責任が問われ(その後却下)、ミッレミリアそのものが廃止となった。さらにパワー競争を抑制することを目的に、1958年からスポーツカー世界選手権に排気量制限が導入された。 このように、1955年のル・マンの悲劇は観客への安全対策とマシンの性能抑制という意識改革をもたらすきっかけとなったが、「レースに死の危険は付き物」という状況はその後も続いた。当時の認識では、事故で潰れた車体に閉じこめられたまま火災に遭うよりも、車外へ放り出された方が助かる見込みがあるという理由から、シートベルトを装着しないのが普通だった。その後、ジャッキー・スチュワートなどのレーシングドライバーによる啓蒙活動と、サーキットの医療体制の充実、レーサーの装具の難燃性向上、車体側の安全基準の厳格化など、長い時間をかけて継続的な安全性の向上が図られていった。
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