モハ203 - 205
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「箱根登山鉄道小田原市内線」の記事における「モハ203 - 205」の解説
元東京急行電鉄玉川線デハ20形25 - 27(旧玉川電気軌道41 - 43)1925年(大正14年)蒲田車両製で片側3扉の木造ボギー車。定員90人。元々運転台出入口部分はドアなしのオープンデッキで中央出入口のみドア付きだったが1943年(昭和18年)車体延長改造の上で前後出入口にドアを取り付けた。東京急行時代は前照灯を運転台上部に設置していたが小田原市内線移籍時に運転台窓下に移設した。台車は国産のボールドウィンタイプで車輪径を710mmにして従来より低床化している。戦災を受けた川崎市運輸事務所にキキ131 - 133(旧東京市電気局ヨヘサ454、607、625、1912年(大正3年)東京市電気局工場製、定員40人。1927年(昭和2年)4月27日認可)を譲渡し、東京急行電鉄傘下の縁で1945年と1946年(昭和20 - 21年)譲受。小田原への移送は小田急電鉄で新宿から仮台車に乗せて電動貨車で牽引して小田原まで輸送した。当初キキ20形25 - 27となりモハ20形201 - 203に改番、さらに 旧東京都101、102の入線後203 - 205に改番。当線廃止後、201、202同様の手法で半鋼製車体に更新改造。その際に車体の長さを201 - 202と同様の11,000mmに切り詰めて丸屋根に改造の上で長崎電気軌道に転出、同線の153 - 155となる。
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モハ203 - 205
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「長崎電気軌道150形電車」の記事における「モハ203 - 205」の解説
戦後混乱期の1945年と1946年、運輸省の要請により東京急行電鉄(東急)玉川線のデハ20形25 - 27を供出したもの(東急デハ20形については当該記事を参照)。車体長さ13.8m、側面3扉の大形ボギー車である。箱根登山鉄道では25 - 27の番号のまま使用し、車籍上の形式は軌道線の電動客車を示す「キキ」を付してキキ20形とした。台車は国産のボールドウィンタイプで車輪径を710mmにして従来より低床化している。車体をライトブルー地に窓周りが山吹色のツートンカラーに塗り替えたほかはほぼ原形のまま使用開始している。 1952年、モハ201・202の使用開始と同時に記号を「キキ」から鉄道線と同じ「モハ」に改めモハ20形とし、番号は元都電の2両に続き203 - 205に改番した。3両とも小田原市内線の廃線まで使用されたのち、長崎電気軌道に譲渡された。
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