ミネソタ・ツインズ
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ミネソタ・ツインズ(英語: Minnesota Twins, 英語発音: /mìnəsóutə twínz/; 略称: MIN)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)アメリカンリーグ中地区所属のプロ野球球団。本拠地はミネソタ州ミネアポリスにあるターゲット・フィールド。
注釈
- ^ 1891-1899年にも同名のチームがあるが、こちらはワシントン・セネタース (1891-1899年)を参照。
- ^ 1961年-1971年にも同名のチームがあるが、こちらは1972年からテキサス・レンジャーズとなっている。
- ^ 甥(妻の兄の子)で、妻の兄が死去した際に引き取って養子とした。
- ^ シーズン短縮の影響を受けた1918年・1981年を除く。
- ^ 最終的に307本塁打。
出典
- ^ “ツインズ、メジャー新記録のシーズン268本塁打 安打数に対する本塁打率は唯一の20%超”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年9月1日閲覧。
- ^ “ツインズが9年ぶり地区優勝! 新人ドブナックが6回1失点好投、終盤に打線奮起で逆転勝利”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年9月29日閲覧。
- ^ “ツインズ、MLB史上初のシーズン300本塁打到達! 圧倒的破壊力で世界一なるか?”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年9月29日閲覧。
- ^ “ツインズが北米4大スポーツワーストタイのPS16連敗 そのうちヤ軍に13連敗”. Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―. 2019年10月8日閲覧。
- 1 ミネソタ・ツインズとは
- 2 ミネソタ・ツインズの概要
- 3 概要
- 4 球団の歴史
- 5 チーム名の由来
- 6 傘下マイナーチーム
- 7 脚注
ミネソタ・ツインズ
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「ミネソタ・ツインズ」の記事における「ミネソタ・ツインズ」の解説
新しいオーナーのカルヴィン・グリフィスは長年に渡る観客減に悩んでいた球団の本拠地移転を画策する。そして1961年、ミネソタ州ミネアポリスに移転し、ミネソタ・ツインズに改称した。州の名前を球団名に冠したのはこれが初めてであった。なお地元ワシントンD.C.でも野球チーム存続の声は大きく、1961年のエクスパンションで新たにワシントン・セネタースが創設されている。しかしこのチームも10年後の1972年にテキサス州アーリントンに本拠地を移し、テキサス・レンジャーズとなっている(その後2005年にモントリオール・エクスポズがワシントンD.C.に移転し、ワシントン・ナショナルズが誕生した)。 1965年には球団記録となる102勝を挙げて移転後初のリーグ優勝。ワールドシリーズではサンディ・コーファックス、ドン・ドライスデールを擁したロサンゼルス・ドジャースに3勝4敗で敗退した。1967年にはロッド・カルーがメジャーデビュー。ツインズ在籍中に7度の首位打者に輝くなど、ツインズのスター選手として活躍した。東西2地区制となった1969年には初の地区優勝、翌1970年にも連覇を果たした。しかしその後は再び優勝から遠ざかり、観客数も減少、球団も赤字に悩まされることとなる。 1982年に老朽化したメトロポリタン・スタジアムから、新球場メトロドームに本拠地を移す。1987年、カービー・パケット、ケント・ハーベックら打撃陣の活躍によって、ツインズとして初のワールドシリーズ制覇した。2006年にセントルイス・カージナルスが83勝でワールドチャンピオンとなるまでの史上最少記録のシーズン85勝での制覇だった。1988年には、球団史上最多の3,030,672人の観客を動員した。1991年にはMLB史上初の前年最下位からワールドシリーズ制覇を達成している。 その後、1993年から8年連続で負け越し、暗黒期に入った。2001年オフにモントリオール・エクスポズと共に球団削減の対象になった。だが、市民の熱意が伝わり、球団存続が決定。翌2002年から地区3連覇を果たし、ア・リーグ屈指の強豪チームとして復活した。2006年には8度目の地区優勝。しかしリーグ優勝決定シリーズまでにいずれも敗退しており、1991年以来のリーグ優勝は果たせなかった。 2007年は地区連覇が期待されたが、主力の故障や不振によって7年ぶりに勝率5割を切ってしまった。その年のオフにはチームの攻守の要であったヨハン・サンタナ、トリー・ハンターが共に移籍し、チーム再建が急務となったが新戦力の台頭などでカバーし、2009年はデトロイト・タイガースとのワンゲームプレーオフを制し、3年ぶり9度目の地区優勝を果たす。翌2010年は両リーグ最速でポストシーズン出場を決め地区2連覇を達成するが、ポストシーズンではニューヨーク・ヤンキースに3連敗を喫し、5回連続でのディビジョンシリーズ敗退、史上ワースト2位のポストシーズン12連敗となった。 2011年は西岡剛をポスティングシステムで獲得し、チーム初の日本人選手となった。救援陣の放出が響くのと同時にジョー・マウアー、ジャスティン・モルノー、西岡剛など故障者が続出し、また、デルモン・ヤングをデトロイト・タイガースに、ジム・トーミをクリーブランド・インディアンスにトレードするなど、チームの主軸が移籍したために失速。4年振りに勝率5割を切り、11年振りの地区最下位に沈んだ。 2012年は、積極補強で長打力を上げると同時に若手の見本になるベテランを補強。上位再浮上を目指すシーズンになる。 2016年はワシントンセネターズ時代も含めて116年ぶりの開幕9連敗。8月18日から31日にかけて13連敗を記録した。 2017年はワイルドカードを獲得したものの、ワイルドカードゲームは4対8でヤンキースに敗れポストシーズンの連敗を13に伸ばした。同年12月には通算300セーブを達成さたフェルナンド・ロドニーを獲得した。 2018年は好スタートを切ったものの、4月下旬に8連敗を喫し、ズルズルと後退。ベテランのジョー・マウアーが4月12日に通算2000本安打を達成したが、11月9日に現役引退を発表した。12月19日にはマウアーの背番号7が永久欠番となった。また昨シーズンワイルドカードに導いたポール・モリター監督がシーズン終了後解任となった。10月25日にロッコ・バルデッリが監督に就任した。 2019年は昨年、長年チームの看板選手として活躍してきたマウアーが現役を引退。ひとつの時代が終わった形となり、今季は若手選手の活躍に期待のシーズンとなっていた。 すると、マックス・ケプラー、エディ・ロサリオらが次々と打撃開眼。5月23日には1試合に8本塁打を放つなど圧倒的な長打力を武器に躍進。1チームのシーズン最多本塁打記録を更新するペースで打ち続け、FAで加入したネルソン・クルーズの大活躍もあり、8月31日に今季チーム通算268本塁打に到達し、メジャー新記録を樹立した。昨季2018年にニューヨーク・ヤンキースが打ち立てたメジャー記録267本をわずか1年後に更新した。そして、9月25日に敵地コメリカ・パークでデトロイト・タイガースに勝利し、9年ぶり11回目のア・リーグ中地区優勝を果たした。更に翌26日には今季の159試合目となったタイガース戦で、シーズン300本塁打に到達。MLB史上初めて、1シーズンに放った本塁打が300本に達したチームとなった。勇躍ポストシーズンに臨んだ地区シリーズだったが、天敵ニューヨーク・ヤンキースに3連敗を喫し、2004年のヤンキースとの地区シリーズ第1戦に勝ったのを最後にポストシーズン16連敗。NHL(ナショナルホッケーリーグ)のシカゴ・ブラックホークスが1975年から1979年にかけて喫したポストシーズン最多連敗記録に並び、北米4大スポーツのワーストタイ記録になった。16連敗のうち、実に13敗がヤンキース戦。今季はシーズン101勝61敗と申し分ない成績だったが、負の歴史に終止符を打つことができず。シリーズを後にすることとなった。
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ミネソタ・ツインズ
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「フランク・バイオーラ」の記事における「ミネソタ・ツインズ」の解説
1981年のドラフトでミネソタ・ツインズから2巡目に指名を受け入団。 1982年6月6日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。8月24日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初完封を達成するが、その後6連敗を喫し、4勝10敗・防御率5.21に終わる。 1983年も7勝15敗・防御率5.49に留まった。本拠地メトロドームは本塁打が出やすいこともあり、被本塁打は2年間で56に上った。 1984年に18勝10敗・防御率3.21・4完封を記録し、サイ・ヤング賞の投票で6位に入った。 1985年も18勝を挙げ、エースに成長する。 1987年に17勝10敗・防御率2.90を記録し、チームの17年ぶりの地区優勝に貢献。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは1勝を挙げ、22年ぶりのリーグ優勝を果たす。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは3試合に先発して2勝を挙げ、チームは4勝3敗でカージナルスを破ってワシントン・セネタース時代の1924年以来、ミネアポリス移転後初のワールドチャンピオンに輝き、シリーズMVPに選出された。サイ・ヤング賞の投票では6位。 1988年は5月1日、5月6日のボストン・レッドソックス戦で連続完封勝利。前半戦で9連勝を記録するなど14勝を挙げ、自身初のオールスターゲームに選出され、先発投手を務めた。24勝7敗・防御率2.64の成績で最多勝のタイトルを獲得、サイ・ヤング賞も初受賞した。 1989年は開幕から5連敗を喫するなど不調で、7月31日にリック・アギレラ、ケビン・タパーニ、デビッド・ウエスト(後にダイエー)ら5選手との交換トレードでニューヨーク・メッツに移籍。
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