マヌティウスによる出版活動とは? わかりやすく解説

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マヌティウスによる出版活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 14:12 UTC 版)

アルド印刷所」の記事における「マヌティウスによる出版活動」の解説

マヌティウスは「テルマエ」に住み込んで働きアルド印刷所出版物製作した印刷所でははじめ、プラトンアリストテレス、およびその他のギリシア語ラテン語古典新たに印刷された。アルドゥスはまた、本の解釈助けとなるよう辞書と文法書も印刷したが、こうした書物は、古典原語のまま教えるためにギリシア語学びたがっていた学者たちによって活用された。ギリシャ語学んだ学者一人であるエラスムスは、アルド印刷所提携し正確に翻訳されテキスト提供してもらっていた 。歴史家のエリザベス・アイゼンスタイン(英語版)は、1453年コンスタンティノープル陥落によってギリシャ学問重要性存続脅かされたと主張したが、アルド印刷所などの出版物がこれを支えたと言える。なお、ギリシア語文献刊行するにあたっては、クレタ島カンディア出身マルコス・ムスロス編集校訂面で活躍した。こうして印刷所は、特に1490年代後半以降ヴェネツィア議会総督教皇庁から様々な印刷特認も得ながら、ヴェネツィア共和国内におけるギリシャ語著作印刷事実上独占した後述する新し活字制作使用しつつ、八折り版を含めた多く古典刊行行った。しかし共和国外では問題抱えており、印刷所パリ設けていた代理店リヨンその他の場所製作され多く偽造品による影響受けたアルド印刷所その後同時代言語、主にイタリア語フランス語にも手を拡げていった印刷所また、マヌティウス友人同僚編集者らのグループ集まりギリシャ語ラテン語テキスト翻訳はじめとする交流行ったサロン「ネアカデミア」の活動場所でもあった :1-5マヌティウス1502年から1504年にかけて、アカデミーの名前を奥付記した7書を印行している。 1505年謝肉祭の頃、マヌティウスアーゾラのアンドレア・トッレザーニの娘であるマリア結婚した。トッレザーニとマヌティウスはすでにビジネスパートナーの関係にあったが、この結婚により出版事業における2人持ち分合わさることとなった結婚後、マヌティウスはトッレザーニの家に住まうこととなったこの頃印刷所隆盛落ち着き見せており、1506年には印刷所も聖パテルニウス教区にあるトッレザーニの家に移された。この建物1873年取り壊され、現在はヴェネツィア広場マニン広場にある銀行建物一部となっている。

※この「マヌティウスによる出版活動」の解説は、「アルド印刷所」の解説の一部です。
「マヌティウスによる出版活動」を含む「アルド印刷所」の記事については、「アルド印刷所」の概要を参照ください。

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