マヌティウスの死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 14:12 UTC 版)
マヌティウスは1515年2月6日に死亡した。彼の死後、印刷所はアンドレア・トッレザーニと彼の娘、すなわちマヌティウスの妻であったマリアによって運営された。印刷所は1508年に「アルドゥスとアンドレア・トッレザーニの家にて (In the House of Aldus and Andrea Torresano)」という刊記を付し、1529年までこれを用いて発行を続けた。1533年、アルドゥスの息子のパウルス・マヌティウス(Paulus Manutius, 1512–1574)による経営のもとで印刷所は再開し、名称を「アルドゥスの後継者たちとアンドレア・トッレザーニ (Heirs of Aldus and Andrea Torresano)」に変更した。さらに1539年、刊記は「アルド・マヌーツィオの息子たち (Sons of Aldo Manuzio)」に変更される。 1567年にはアルドゥスの孫のアルドゥス・マヌティウス・ジュニア(英語版)(Aldus Manutius the Younger, 1547-1597)が印刷所を引き継ぎ、1597年に死ぬまで事業を続けた。
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