プロホロフカ戦車戦とは? わかりやすく解説

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プロホロフカの戦い

(プロホロフカ戦車戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 03:45 UTC 版)

プロホロフカの戦い(英語Battle of Prokhorovka)とは第二次世界大戦東部戦線独ソ戦)で、1943年7月に行われたクルスクの戦い(ドイツの作戦計画ツィタデレ作戦)のなかの、7月12日にクルスク南東87kmにあるプロホロフカで起きた、独ソ両軍による史上最大の戦車戦の一つ(1941年のブロディ戦車戦が第二次大戦中最大の戦車戦とされる)[要出典]。ツィタデレ作戦は、ソ連軍突出部を南北から挟撃する攻勢案であるが、ここで衝突したのは南からの攻勢部隊のひとつであるドイツ第4装甲軍の第2SS装甲軍団と、その進撃を阻止すべく反撃に出たソ連軍第5親衛戦車軍。戦闘は夕刻に終わり、戦場はドイツ軍の手に残った。しかし、同じ12日に急変したシチリア情勢に対応するため、ヒトラーがツィタデレ作戦の中止を決めた為、この戦闘の結果をドイツ軍は活かすことはできなかった。




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プロホロフカ戦車戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 01:49 UTC 版)

クルスクの戦い」の記事における「プロホロフカ戦車戦」の解説

詳細は「プロホロフカの戦い」を参照 プロホロフカにはクルスクベルゴロドを結ぶ鉄道路線があり、さらに北西部にプショール川が流れ地形広大な草原であった。このプショール川と鉄道阻まれた狭い地域で、7月12日プロホロフカ占領目指す第2SS装甲軍団LSSAH師団と、第2SS装甲軍団撃破し第48装甲軍団後方遮断意図する第5親衛戦車軍とで戦車戦開始された。 12日早朝、252.2高地から前進するLSSAH戦車戦闘団ソ連53機械化旅団とが遭遇戦車戦始まった。これを皮切りに次々とLSSAH師団前線戦車部隊飽和攻撃繰り返しLSSAH師団前進中止し防御戦闘への移行余儀なくされた。当時戦闘記録によると、タンクデサント満載したT-34集団が自ら築いた対戦車壕前に進攻停止し、これを飛び越えようとして転落して行動不能になる戦車部隊中にはあった。LSSAH防御線を突破した赤軍部隊全て撃退された。「我々より10倍もの敵戦車部隊との戦闘は、これまで経験無かった。」(第7戦車中隊長ティーマンSS大尉と言う程の激戦だった。 13日LSSAH師団報告によると、ソ連軍戦車192輌を撃破したこうしたソ連側被害は、第5親衛戦車軍司令官パーヴェル・ロトミストロフティーガー対策近接戦闘指示したため、砲塔増加装甲装備したIV号戦車ティーガー誤認して接近し逆にドイツ軍の75mm砲が有効な距離で撃破されていった結果でもあった。LSSAH師団損害24輌(全損車はIV号戦車:4輌、ティーガー:1輌)。14日には稼動88輌に回復した。第IISS装甲軍団全体損害LSSAH師団24輌、DR師団16輌、T師団20輌、計60輌(全損5輌、修理可能な損傷車輌55輌)と、過去言われていたデータとは比較ならないほど小さかった。第5親衛戦車軍は「16日までにT-34222輌、T-7089輌、チャーチル12輌、SU11全損」と報告したちなみにソ連戦史ではティーガー撃破とよく出てくるが、この時稼動していた本物ティーガーは、LSSAH戦車連隊13中隊の僅か4輌にすぎないこれまでこの戦闘参加した戦車数はドイツ軍600両、赤軍900両にも及び両軍の損害合わせる700両に及ぶ損耗戦だったと言われてきた。これは1981年までSS記録機密扱いだったため、両軍参加した車両構成損害数など資料によって、またはドイツ・ソ連から公開される不完全な資料食い違いがあった。さらに崩壊前のソ連プロパガンダとしてこの戦い劇的に脚色して発表していたため、正確な情報曖昧な状態になっている

※この「プロホロフカ戦車戦」の解説は、「クルスクの戦い」の解説の一部です。
「プロホロフカ戦車戦」を含む「クルスクの戦い」の記事については、「クルスクの戦い」の概要を参照ください。

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