ビスマルクの撃沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:20 UTC 版)
1941年にH部隊が関わった戦いのうち、もっとも有名なものは、H部隊の主戦場である地中海ではなく大西洋で発生した。5月18日、ドイツの戦艦ビスマルクは通商破壊を行うため、重巡洋艦プリンツ・オイゲンを伴って大西洋へ出発した。ビスマルクはアイスランドとグリーンランドの間のデンマーク海峡を抜け、イギリス北方を迂回しようとしていた。そこでビスマルクは、新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと旧型の巡洋戦艦フッドを主力とする強力なイギリス海軍部隊の迎撃を受けた。この交戦はイギリス海軍にとって災厄であった。プリンス・オブ・ウェールズは被弾して中破、フッドは爆沈し、約1,400名の乗組員のうち3名のみが生き残った。 いまや、投入可能なすべてのイギリス海軍艦艇にビスマルク撃沈の命令が下されることとなった。H部隊も迎撃のため、ジブラルタルから出港した。その主力は航空母艦アークロイヤル、巡洋戦艦レナウン、軽巡洋艦シェフィールドである。 フッドを撃沈したものの、ビスマルクはデンマーク海峡での海戦を、完全に無傷で切り抜けることはできなかった。プリンス・オブ・ウェールズの砲弾がビスマルクの燃料タンクを切り裂き、燃料漏れを発生させていたのだ。このため、ビスマルクは通商破壊戦を切り上げるとともに、プリンツ・オイゲンを分派した。両艦は、別ルートでフランスのブレスト港へ向かうこととしたのである。イギリス海軍は空母ヴィクトリアスの艦載機にビスマルクを空襲をさせたが、攻撃に失敗。さらにビスマルクは一時、追尾に当たっていたイギリス艦サフォーク、ノーフォークのレーダーから逃れることに成功した。後に再び発見できたものの、ビスマルクを撃沈するためにはまずその足を止めることが先決であった。このため、アーク・ロイヤルもソードフィッシュ雷撃機による空襲を試みたが、攻撃隊は目標の位置を誤認し、ビスマルクを追尾していたシェフィールドを攻撃してしまった。なお、この攻撃に用いられた魚雷は新式の磁気信管を使ったもので、信頼性に欠けていると考えられた。次の第2次攻撃隊は、従来型の接触信管を持つ信頼性の高い魚雷を搭載することになった。第2次攻撃隊の攻撃によりビスマルクは舵機を壊され、航行能力に大きな打撃を受けた。時に5月26日夜のことである。その後もビスマルクは触接してくるイギリス海軍の部隊と断続的に戦闘を続けた。翌朝、戦艦キング・ジョージ5世およびロドネイを含んだイギリス艦隊が戦場に到着。その攻撃により、ビスマルクは撃破され、戦闘能力を失ったため自沈した。
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