ショヒド・ミナールとは? わかりやすく解説

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ショヒド‐ミナール【Shaheed Minar】


ショヒド・ミナール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/11 06:03 UTC 版)

ショヒド・ミナール[1]ベンガル語: শহীদ মিনারラテン文字転写: Shohid Minar)は、バングラデシュの首都ダッカにある国定記念碑。1952年に起こったベンガル言語運動の犠牲者を追悼する目的で建設された。


  1. ^ 語源アラビア語読みに引きずられてシャヒド・ミナールアラビア語: شهيد مينار‎、英語: Shaheed Minar)と呼ばれることもあるが、ベンガル語読みではショヒド・ミナールとなる。
  2. ^ a b Al Helal, B (2003), Bhasha Andoloner Itihas, Agamee Prakashani, Dhaka, ISBN 984-401-523-5(ベンガル語)
  3. ^ The Azad (a daily newspaper) (Abul Kalam Shamsuddin, Dhaka), February 27 1952
  4. ^ The Azad (a daily newspaper) (Abul Kalam Shamsuddin, Dhaka), February 25 1952
  5. ^ Imam, Jahanara (1986). Ekattorer Dingulee (in Bengali). Dhaka: Shondhani Prokashani, p44. ISBN 984-480-000-5
  6. ^ Islam, Rafiqul (2000), Amar Ekushey O Shaheed Minar, Poroma, ISBN 984-8245-39-1(ベンガル語)
  7. ^ Shaheed Minar National Monument - Honoring the Bengali Language Movement Martyrs [1]
  8. ^ バングラ独立と池袋西口公園[2]


「ショヒド・ミナール」の続きの解説一覧

ショヒド・ミナール(1963年~1971年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 04:59 UTC 版)

「ショヒド・ミナール」の記事における「ショヒド・ミナール(1963年1971年)」の解説

バングラデシュの政党アワミ連盟が力を持つようになると、政府による報復恐れること無く新たな記念碑建設することが可能となった著名な建築家であるハミドゥル・ラハマンが、1957年建築開始されるショヒド・ミナールのデザイン作成した。ミナールの基礎となる石は、1956年2月21日敷かれている。ハミドゥル・ラハマンのモデルは、ダッカ医科大学寄宿寮の庭にある広大な土地に、巨大な複合施設建てるというものだった。この巨大なデザインには、記念碑中央の高座にたたずむ母と犠牲となったその息子象徴した半円形含まれていた。また、太陽反射する目を象徴した黄色と深い青色ステンドグラスは、そのの動く影を反射するようにデザインされた。ミナールの地下にも、言語運動の歴史描いた1500平方フィートに及ぶフレスコ画含まれていた。ベンガル語アルファベット装飾された柵は、前面建設される予定であった。他に、赤と黒彩られ2つ相反する力を示している2つ足跡も、デザインのうちの一つだった上に、博物館図書館建設することもまた、ラハマンの計画には含まれていた。目のような形状をした泉が建設される予定もあった。 ラハマンは、特に記念碑地域一帯熱帯性気候にも耐えられるように、記念碑デザインした建設工事1957年11月開始されており、この際建築監督はハミドゥル・ラハマンとノヴェラ・アハメドであった地下階演壇・柵の付いた足跡と壁の幾つかを含む工事のほとんどは、戒厳令導入され工事中止させられた際に完了している。よって建築竣工至ったのは1963年のことであり、ラハマンのデザイン多く完成されないままとなった記念碑1963年2月21日言語運動の犠牲者アブール・バーカトとハシナ・ベーガムの母親により、落成式が行われた。しかし、1971年起こったバングラデシュ独立戦争で、ミナールは激しく損傷してしまった。設置されていたも、この闘争の中で破壊されている。パキスタン軍はミナールを破壊し、その瓦礫の上に「モスクと書かれた看板立てた

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