サラザール政権への反抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/03 06:33 UTC 版)
「フランシスコ・ロラン・プレト」の記事における「サラザール政権への反抗」の解説
1930年、ロラン・プレトはダビド・ネトや他の「シドニスタ(保守派の人物を指す言葉で、特にポルトガル国民共和党(英語版)の党員を指す)」と接触し、彼らと共に5月28日国民同盟を結成、「『民族革命』の守護者」を自称した。彼は「国家サンディカリスムの扇動者」や「雑誌"Diário Académico Nacional-Sindicalista de Tarde"(1932年に初発行され、後に"Diário Nacional-Sindicalista de Tarde"と名前を変更)の編集者」として悪名が高まった。彼は国家サンディカリスト運動を創設、隊の象徴としてキリスト騎士団十字架を使用し、ローマ式敬礼を採用した。彼らは、国内の大学生やポルトガル陸軍の若い将校の間で非常に人気となった。 1933年頃からロラン・プレトに対する個人崇拝が広がり、同時に彼も国民へのプロパガンダ遠征に従事するようになり、またイタリア大使館員への接待にも積極的に参加するようになった。運動を報じる新聞は彼のことを「チーフ(ポルトガル語:Chefe)」と称し、国内政党の文書によって「プレトが彼の支持者らによって崇拝されている」ことが明らかとなった。運動集会にはイタリア国家ファシスト党や国家社会主義ドイツ労働者党からの使節団も出席していた。1933年夏、国内の知事らに対して民衆による国家サンディカリスムの運動を禁止する要請が出されるが、支持者らは運動を続行、タグボートを用意し当時リスボンに訪問していた国家ファシスト党首班党員イタロ・バルボと接触した。またロラン・プレトは同時期に独自の軍の設立も開始、ポルトガル警察の報告によると、「黒色旅団(ポルトガル語:Brigade Negra)」としても知られるリスボンの部隊は60人ほどの男性から構成されていたが、その運動は瞬く間に民衆の間で活発になったという。 時の指導者アントニオ・サラザールは治安部隊長官との会談の後、国家サンディカリスト運動の解散を決定。1934年7月4日にロラン・プレトは逮捕された。サラザールは彼を国外追放に処し、国家サンディカリスト運動の指導格メンバーを粛清した。サラザールは国家サンディカリスト運動を「どこか海外の運動の模倣」と非難し、また彼らの「若年層の賛美や、直接的行動を通じた暴力・社会生活における国家権力の優位という原理・単一の指導者の下に大衆を団結させることを好む傾向へのカルト的な崇拝」についても、ファシズムや自身のキリスト教統合主義(英語版)のそれとは根本的に異なるとして非難した。ポルトガルのイギリス大使館はロンドンへ、ポルトガル国家サンディカリスト運動は「イタリアの大使から着想を得た」と報告し、またロラン・プレトについて「強い策謀のセンスをもった空虚な男」と表現した。 ロラン・プレトは一時的に拘留された後に国外追放とされ、国家サンディカリスト運動も活動禁止となった(同時に党機関紙であった"Rovolução"も発行禁止になった)。プレトは最期までサラザールとマルセロ・カエターノの独裁体制に対して「軟弱すぎる」と批判を続けた。彼はしばらくの間ヴァレンシア・デ・アルカンタラ(英語版)(スペインの街で、ポルトガルのカステロ・デ・ヴィデ(英語版)と国境を接する)に住み、その後はマドリードのホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラの自宅に招待され、彼と共に後のファランヘ党の理論を組み上げた。 1935年2月にロラン・プレトはポルトガルへと帰還。しかし彼は、バルトロメウ・ディアス号の乗組員やリスボンの行政教区ペニャ・デ・フランサ(英語版)の駐屯兵らによる九月反乱を嗾けたとして、再び留置された。その後追放処分を受けた彼はスペイン内戦に参加し、フランシスコ・フランコの陣営に与して戦った。 ロラン・プレトは第二次世界大戦の直前に再びポルトガルへと帰還。1922年に出版された彼のイタリア・ファシズムに関した本の新版を出版した。彼はベルリン=ローマ枢軸に強い期待を寄せ、自身の著書においてサラザール政権を攻撃したうえでイタリアやドイツのファシズム政権を賛美した。ドイツでのナチズムやイタリアでのファシズムの興隆と共に、彼はヨーロッパのファシズムの将来に対して楽観的になり、彼の全ての希望を枢軸国の勝利にかけ、「真のファシスト」でない者に対抗した一方で、ファシズムの見地を取り入れてくれるよう彼らに願った。
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