ウェロウォコモコの位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 22:21 UTC 版)
「グロスター郡 (バージニア州)」の記事における「ウェロウォコモコの位置」の解説
1609年頃、ポウハタン酋長が首都を安全な内陸の場所に移し、ウェロウォコモコを放棄した後、その場所に関する情報は失われた。研究者達はスミスが著したものでその場所を特定しようと務めた。現在ウェストポイントの町となっている場所が解決の糸口を与えてくれると見られている。スミスはそこから下流のウェロウォコモコまでの距離を記していた。その記述に従って、ウェストポイントから南東に約25マイル (40 km)、ウィコミコ(ポウハタンの煙突がある場所)近くにあったと考えられた。スミスは「カラスが飛ぶのを見て」ジェームズタウンがウェロウォコモコから12マイル (19 km) とも記していた。ウィコミコ近くの場所はジェームズタウンから約12マイルの距離にある。 1977年、バージニア・コモンウェルス大学の考古学者ダニエル・マウアーは、パータン湾沿いのある場所がウェロウォコモコの位置だとして、その海浜沿いにある耕作地表土から工作物を収集した。マウアーはウッドランド期後期のものとされる土器の破片を発見し、その地域がウェロウォコモコのあった場所の可能性があると結論付けた。 それから20年以上後、別の土地所有者がその敷地の考古学的発掘を承認した。2002年3月から2003年3月までに、ウェロウォコモコ研究班はウェロウォコモコ遺跡の発掘を行い分析した。この研究班は、ウィリアム・アンド・メアリー大学、バージニア州歴史資源部およびポウハタン連邦の子孫であるインディアンで構成される共同研究だった。最初の試掘では50フィート (15 m) 離した深さ12ないし16インチ (30-40 cm) の穴603個を掘った。ヨーロッパで交易のために作られた可能性のある青いビーズなど数千個の工作物が発見された。ウェロウォコモコに関する文献情報を参照し、研究者たちはその場所が昔の首都の場所だということを実証できたと考えた。2003年、バージニア州歴史資源部ポーツマス地域事務所の支配人ランドルフ・ターナーは、「この土地がウェロウォコモコの村だったということを確認する十分な証拠を得た」と語った。 グロスター郡を本拠とするセイン・ハーポールとデイビッド・ブラウンは、2002年からこの場所で作業し、発掘への関与を続けた。考古学者達は西暦1200年から17世紀初期にこの場所を占めた分散した村を発見してきた。大きな住居群跡からは、土器や石器などの人工物と、植物や動物の食料残骸を発見した。またジェームズタウンからと考えられるガラスや銅などの金属で作られたイングランド人交易品も見つけた。ジェームズタウン初期にウェロウォコモコとの交流があった植民地人の証言では、ポウハタンが示したイングランド製品、特に銅に関する興味を強調していた。インディアンは銅から独自の芸術品を作り出していた。 このプロジェクトはポウハタン連邦の子孫であるマタポニ族やパマンキー族など地元のインディアンと相談し、協力したことが特徴だった。このような考古学遺跡はインディアンにとって重要な人工物が出ることが多い。 チカホミニー族の酋長で、バージニア州インディアン諮問委員会委員のスティーブン・R・アドキンスは、「私がこの場所に足を踏み入れると、違った感覚を覚えた。魂が私に触れ、私はそれを感じた」と語った。 グロスター郡は、郡の歴史の一部としてウェロウォコモコなどポウハタンの遺産と考えられる場所を祝った。パータン湾沿いの新しく特定された場所と、ウィコミコのポウハタンの煙突が、インディアンがウェロウォコモコだと考えてきた領域内にある。アルゴンキン語で酋長の村は地名ではないが、より正確に訳すれば彼が住んだ「土地」となる。ポウハタンの歴史には地域内での移住が度々あった。
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