どうのうえいせきとは? わかりやすく解説

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堂ノ上遺跡

読み方:どうのうえいせき

神領三丁目発掘調査で、礎石をもちいた瓦葺建物跡特殊な間仕切りをした掘立柱建物跡確認同地は、東海道信楽通じる道の分岐点にあたる交通の要所で、承和11年(844)の年号記した瓦の出土などから、奈良から平安時代瀬田駅家(うまや)跡と見られる。国指定史跡

交通アクセス

JR石山駅から帝産湖南バス田上車庫行ほか橋本下車徒歩5分



堂ノ上遺跡

名称: 堂ノ上遺跡
ふりがな どうのうえいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 滋賀県
市区町村 大津市神領三丁目
管理団体
指定年月日 1978.03.14(昭和53.03.14)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成14.03.19
解説文: S52-06-013[[堂]どう]ノ[[上遺跡]うえいせき].txt: 琵琶湖から流れ出る瀬田川架かる瀬田唐橋を東に行くと、近江一の宮建部神社経て近江国府南縁に至る。近江国府方八町の府域をもつが、その府域の西南隅に西接して建部神社見られ、その社地の南に接す小台地上にこの堂ノ上遺跡が所在する昭和50・51年、滋賀県教育委員会発掘調査し、重要な成果収めている。基底3.5メートル測る築地塀南北走り、その西に南北11.5メートル東西26.1メートル上の範囲を囲む落溝が検出され、ここに大規模な瓦葺建物存在したことが確かめられ、またこの建物の北にも同様な瓦葺建物存在推測されているが、未調査のためその規模などは不明である。先の瓦葺建物東南には、小規模ではあるが桁行四間梁間一間南北軸瓦葺建物があり、築地塀平行しこれら諸建物が、相互に関連し同時に営まれたものであることを教えている。こうした瓦葺建物について掘立柱建物群が造営されたようである。これらの建物はさきの大規模な瓦葺建物位置桁行五間・梁間三間建物が、またその東南方の小規模な建物位置桁行五間・梁間一間長い建物営まれそれぞれ先の瓦葺建物後身建物かと考えられている。
 本遺跡では、近江国府において用いられている屋瓦と共通する屋瓦が使用されている。これらの屋瓦はほぼ奈良時代末から平安時代初期編年されるものであり、瓦葺建物群の存続時期知られるが、後身掘立柱建物群の存在知られているので平安時代前期までは存続したものと考えられる。なお、本遺跡から発見され一平瓦には「承和十一六月」の記年銘のあるものがあり、注目されている
 本遺跡は、近江国府の府域外営まれたものであるが、大規模な瓦葺建物存在、それらの建物の配置や、存続期間考え合わせれば近江国行政機構係る遺跡かと推測されており、将来近江国府なり地方行政機構実際考え上で重要な役割を果たす遺跡考えられる
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史跡:  堀之内貝塚  堀川用水及び朝倉揚水車  堂の前遺跡  堂ノ上遺跡  堂之上遺跡  堅志田城跡  塔の首遺跡


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