建物跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 14:33 UTC 版)
南北棟の大型建物を中心に、その東と西に2棟ずつ、北と南に1棟ずつ、計7棟の建物跡が確認されている。 大型建物(母屋)は、桁行10間(23.8メートル)、梁間3間(8.6メートル)の南北に長い建物で、北面を除く残り3面に庇を設けていた。床面積は約190平方メートル、庇部分を含めると約330平方メートルである。大半の柱痕には柱根が残存していた。 西建物は母屋から9メートルほど離れた南西側に建つ1棟と、その北に建つ1棟で、前者は桁行6間、梁間2間。後者は桁行4間、梁間1間の細長い建物で、2棟とも東西棟である。北建物は船着場に隣接して建つ東西棟の建物で、桁行・梁間とも3間。東建物は、母屋から26メートル離れて建つ南北棟の建物と、その南に建つ東西棟の建物で、前者は桁行3間、梁間2間。後者は桁行6間、梁間3間。両建物間は18メートル離れている。南建物は母屋の南28メートルのところに建つ東西棟の建物で、水田造成によって一部削平されているが、桁行5間、梁間3間である。 以上の建物のうち、東建物と南建物は居住用とみられる。南建物はその位置から、迎賓施設の可能性もある。北建物は、船着場に接して建つところから、船荷用の倉庫とみられる。西建物は小規模であるにもかかわらず間仕切りを設けるところから、木製品等を作っていた工人の住居と推定されている。
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