高霊郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 13:22 UTC 版)
主山南麓の大伽倻王陵展示館。右側は高霊池山洞古墳群 | |
位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 고령군 |
漢字: | 高靈郡 |
日本語読み仮名: | こうれいぐん |
片仮名転写: | コリョン=グン |
ローマ字転写 (RR): | Goryeong-gun |
統計(2023年) | |
面積: | 383.97 km2 |
総人口: | 30,139[1] 人 |
男子人口: | 15,477 人 |
女子人口: | 14,662 人 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
上位自治体: | 慶尚北道 |
下位行政区画: | 1邑7面 |
行政区域分類コード: | 37370 |
高霊郡の木: | キリ |
高霊郡の花: | クロフネツツジ |
高霊郡の鳥: | アオサギ |
自治体公式サイト: | 高霊郡 |
地理
慶尚北道南西部に位置し、東は大邱広域市、西と南は慶尚南道陜川郡(ハプチョン)、北は慶尚北道星州郡(ソンジュ)に接する。
小白山脈の一脈である伽耶山が郡の西北から南東に連なり、郡中央を流れる大伽川が小伽川を合わせて錦川となり、洛東江に流入する。
歴史
古代の大伽耶国の地であり、大伽耶は始祖・内珍朱智から道設智王まで16代520年続いた。伽耶時代前期の盟主は金官伽耶(現・金海市)であったが、5世紀以降は大伽耶が伽耶連盟の盟主となった。562年新羅に滅ぼされて大伽耶郡となり、757年高霊郡(高陽郡)と改称した。
- 1018年 - 霊川県と改称。
- 1413年 - 高霊県になる。
- 1895年旧暦閏5月1日 - 高霊郡に変更。[2]
- 1896年8月4日 - 慶尚南道高霊郡に変更。[3]
- 1906年 - 星州郡・玄風郡の各一部を編入。(26面)
- 1912年10月15日 - 西部面が県内面に合併するなど、面・洞が統廃合された。[4][5](16面)
道令第2号 旧行政区画 新行政区画 雲羅面、黒水面 雲水面 道長面、九音面 長音面 九谷面、津村面 開津面 一良面、松泉面 良泉面 安林面、鍮泉面、高谷面 林泉面 乃谷面、館洞面 乃館面 旺旨面、畓谷面、下弥面の一部(扶礼洞、釜谷洞、沙村洞、蓮洞、下山洞) 旺谷面 牛村面、下弥面の残部 牛下面 上洞面、下洞面 双洞面
府令第111号 旧行政区画 新行政区画 邑内面、乃館面 高霊面 仁谷面 徳谷面 長音面 雲水面 蘇野面、嘉県面 星山面 良泉面 開津面 伐知面 茶山面 牛下面、旺谷面 牛谷面
- 1934年4月1日 - 双洞面・林泉面が合併して双林面が発足。[8](8面)
- 1979年5月1日 - 高霊面が高霊邑に昇格。[9](1邑7面)
- 1983年2月15日 - 徳谷面の一部が星州郡修倫面に編入。(1邑7面)
- 2015年4月2日 - 高霊邑が大伽倻邑に改称。[10][11](1邑7面)
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