館柳湾 略歴

館柳湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/19 20:05 UTC 版)

略歴

新潟(現新潟市上大川前通)の廻船問屋小山家の次男として、父弥右衛門、母八重の間に生まれる[注釈 1]。少年期には儒医高田仁庵に『詩経』『書経』などを学ぶ。早くに両親を失ったため、巻村にあった質屋の館徳信の養子となる。

1784年、江戸に出て亀田鵬斎に学んだ後、代官手代となる[1]。成人後、旗本の小出照方の家臣となる。1787年、恩師の高田仁庵の姪 佳輿(かよ)を娶り、長女梅が誕生するも、後に佳輿は病死。柳湾は佳輿の妹順を後妻とし、2男2女を授かる。1798年大典顕常に出会い、翌年、小出照方の計らいで昌平黌林述斎に入門する[2]。1800年、小出照方が飛騨郡代となり、彼に同行して飛騨高山に赴任する[2]。翌年、小出とともに江戸に戻る。赤田臥牛の還暦に詩を贈る。

1827年、致仕した後、新潟へ里帰りを果たす。80歳の傘寿を祝いには、両国の万八楼に千人の来賓が集ったという。1844年、目白台の自宅にて歿す。墓は長源寺にある。

人物

柳湾は、温厚な性格で寡黙であり[3]、色白で背が高く、酒を嗜むことなく一日に一升の飯を食べたという。実直な役人として上司の信任が篤く加えて領民思いだった。師の亀田鵬斎寛政異学の禁のためほとんどの門弟を失ったが、柳湾はその後も師弟の関係を続けていることから義に篤い人物だったと思われる。最もに巧みだったが、和歌篆刻も好んだ。中井敬所の『日本印人伝』にその名が見える。多くの著作を刊行し、江戸庶民の人気を博した。同じく幕臣で漢詩人であった岡本花亭と並び称され[4]、詩人として順風満帆で幸福な人生を送った。息子の館霞舫は画家となっている。

詩風・詩業

当時の詩壇の趨勢は、大振りで華やかな唐詩から写実的で清新な宋詩へと流行が移り変わろうとする時期であったが、その中において柳湾は中晩唐の高雅典麗な詩風を好み、絶句集をさかんに刊行した。杜牧温庭筠李商隠韓偓などの影響がみられ、平易で澄明な詩風が大いに人気を博した。

在世時から柳湾は、中晩唐の詩を愛し、自身の詩を錬磨してやまない詩人として知られていたが、岩渓裳川や阪口五峰によって、柳湾の情趣豊かで洗練された詩が喧伝され、その名声はますます上がった[2]。その後、永井荷風は柳湾の平明な詩を評価し、柳湾の詩人像の理解に新たな展開をもたらした[2]。荷風は柳湾の詩を「江戸名所の絵本をひらき見るの思あり」とし、近代フランス叙情詩に匹敵すると『葷斎漫筆』の中で絶賛している[5]

辺縁の地を嫌い、早くから江戸に出た柳湾であったが、山国飛騨高山に赴任し、一時は生涯をその地に終える覚悟であったらしい。飛騨の山河を詠んだ美しい詩が遺されている。

中山七里(なかやましちり)
楓林霜後競鮮明  楓林(ふうりん) 霜後(そうご)に 鮮明を競い
曝錦中山七里程  錦を曝(さら)す 中山 七里の程(てい)
誰道天機無織具  誰か道(い)う 天機 職具無しと
長渓処処桟編筬  長渓 処処 桟 筬(おさ)を編む

  1. ^ 書家の巻菱湖の本姓も小山氏であり、菱湖は柳湾を「吾兄」「堂兄」と呼んでいる。ここから阪口五峰は二人の母は姉妹ではないかと考えた[1]
  1. ^ a b c 今関天彭 『書苑 第五巻・第十一号』三省堂、1941年、19頁。 
  2. ^ a b c d 合山林太郎「永井荷風による館柳湾評価の背景 : 明治期漢詩人の江戸漢詩に対するまなざし」『語文』第103巻、大阪大学国文学研究室、2014年12月、1-13頁。 
  3. ^ 富士川英郎 『江戸後期の詩人たち』麥書房、1966年、361頁。 
  4. ^ 富士川英郎 『江戸後期の詩人たち』麥書房、1966年、135頁。 
  5. ^ 富士川英郎 『江戸後期の詩人たち』麥書房、1966年、144頁。 


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