長恨歌 関連項目

長恨歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 08:10 UTC 版)

長恨歌」(ちょうごんか)は、中国の詩人白居易によって作られた長編の漢詩である。陳鴻の長恨歌伝によれば、白居易、陳鴻、王質夫の三人が仙遊寺に集まり、唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを語り合い感嘆した際、王質夫が「夫れ希代の事は、出世の才の之を潤色するに遭ふに非ずんば、則ち時と消没し、世に聞こえず。楽天は詩に深く、情に多き者なり。試みに為に之を歌はば、如何と。」(「世にも奇妙な出来事は、一代の傑出した才人の手で潤色されるのでなければ、時と共に消滅してしまって、世の中に伝わらなくなってしまう。楽天、君は詩に造詣が深く、情に豊かな人だ。試みにこの出来事で歌を作って見てはどうか」という意)と言われたことをきっかけに、「長恨歌」を作ったと書かれている[1]。『源氏物語』をはじめ平安時代の日本文学にも多大な影響を与えた。806年元和元年)、白居易が35歳、盩厔県尉であった時の作。七言古詩(歌行とも言う)(120句)。


注釈

  1. ^ 比翼の鳥」とは、雌雄2羽の体の片方ずつがくっついて、1羽になった鳥である。お互いの気を合わせないと飛ぶこともできない。「連理の枝」同様、仲のよい様子の例えに使われる。
  2. ^ 「連理の枝」とは、地上から生えた2本の木の枝が、1つにくっついている様子を表す。「比翼の鳥」同様、仲のよい様子の例えに使われる。
  3. ^ 中国文学者の川合康三は、著書『白楽天―官と隠のはざまで』(岩波新書2010年)において、白居易の詩と同時に作られた陳鴻の伝奇書「長恨歌傳」[2]が、冒頭で「玄宗」と直接記してあることから、この見解は明らかな誤りであると持論を展開している。しかし、当時の白居易と陳鴻の政治的な立場や考え方が違うため、“この見解は明らかな誤り”とまでは言えないとの指摘もある。

出典

  1. ^ a b 『白氏文集二下』明治書院新釈漢文大系〉、2007年。ISBN 9784625673139 
  2. ^ 長恨歌傳 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 下定雅弘『長恨歌 楊貴妃の魅力と魔力』勉誠出版、2011年。ISBN 9784585290117 


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