長恨歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 08:10 UTC 版)
史実との相違
- 詩中では玄宗と楊貴妃を直接叙述するのではなく、漢の武帝と李夫人の物語に置き換えている。これは現王朝に遠慮してのこととする見解がある[注 3]。
- 楊貴妃はそもそもは玄宗の子の一人、寿王李瑁の妃であった。『新唐書』玄宗紀によれば、玄宗は息子の妻を自分のものとするため、いったん彼女を女道士にして、息子との縁を絶った後に後宮に迎えている。太真は楊貴妃の道士時代の名である。
楊貴妃の美
- 「温泉水滑洗凝脂」「雪膚」 - 温泉の水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。
- 「雲鬢花顔」「花貌」「芙蓉如面柳如眉」 - ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉、など顔のパーツも重要であったようだ。
- 「侍兒扶起嬌無力」「金歩搖」 - 侍女に助け起こされてもぐったり、歩くに連れてかんざしがしゃらしゃらと揺れる、といった感じで、北宋ごろから流行しだした纏足という習慣にも見られるように、いかにもなよなよとした頼りなげな様子が女性らしいしぐさとして愛されたらしい。
日本文学への影響
- 『源氏物語』桐壺の巻 - 桐壺帝と桐壺更衣の悲恋の描写には、長恨歌を髣髴とさせる部分がたくさんある。当時の貴族層の誰もが知る長恨歌のエピソードを、紫式部は上手く平安王朝風に置き換えて、物語に取り入れた。
長恨歌の主題
長恨歌の主題は長年に渡って議論され続けており、主に世の乱れをふせぐための「諷諭」、玄宗の楊貴妃への愛を中心とした「愛情」のどちらかが主題ではないかと言われている。『長恨歌』を伝記に仕立てたという陳鴻の『長恨歌伝』では、「意者但だ其の事に感ずるのみならず、尤物を懲らし、亂階を塞ぎ、將來に垂らんと欲するならん」(思うに長恨歌は、玄宗皇帝と楊貴妃の事柄に感動しただけではなく、世に禍いを及ぼしかねない絶世の美女を懲らしめ、世の中の乱れを未然に防止し、将来に向けて戒めを示そうという意図もあったという意)[1]と『長恨歌』を「諷諭」として読んでいる。
日本では、「愛情」を主題とするのが、共通の理解となっている。中国では政治を基準にして、文芸作品の価値を考える伝統から「諷諭説」がかなり根強かったが、最近では「愛情」を歌ったものだという説が優勢になりつつあるという[3]。
注解
- 『白氏文集 二下』 明治書院〈新釈漢文大系117〉、2007年。岡村繁(編者代表)
- 『白楽天詩選 上』 川合康三訳注、岩波文庫、2011年
- 『白居易 中国詩人選集』 高木正一訳注、岩波書店、新版1983年。旧版・全2巻
注釈
- ^ 「比翼の鳥」とは、雌雄2羽の体の片方ずつがくっついて、1羽になった鳥である。お互いの気を合わせないと飛ぶこともできない。「連理の枝」同様、仲のよい様子の例えに使われる。
- ^ 「連理の枝」とは、地上から生えた2本の木の枝が、1つにくっついている様子を表す。「比翼の鳥」同様、仲のよい様子の例えに使われる。
- ^ 中国文学者の川合康三は、著書『白楽天―官と隠のはざまで』(岩波新書、2010年)において、白居易の詩と同時に作られた陳鴻の伝奇書「長恨歌傳」[2]が、冒頭で「玄宗」と直接記してあることから、この見解は明らかな誤りであると持論を展開している。しかし、当時の白居易と陳鴻の政治的な立場や考え方が違うため、“この見解は明らかな誤り”とまでは言えないとの指摘もある。
出典
長恨歌と同じ種類の言葉
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