金容江 金容江の概要

金容江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 16:20 UTC 版)

金容江
基本情報
本名 金容江
階級 フライ級
国籍 韓国
誕生日 (1965-01-03) 1965年1月3日(58歳)
出身地 全羅南道和順郡
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 31
勝ち 26
KO勝ち 11
敗け 5
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来歴

1985年4月6日、プロデビュー(4回KO勝ち)。

1987年1月17日、11戦目で韓国ライトフライ級王座獲得。

1987年12月11日、15戦目でOPBFライトフライ級王座獲得。翌1988年2月20日には初防衛に成功。

1988年7月24日、東洋太平洋王座在位のまま世界初挑戦。1階級上のWBC世界フライ級王者ソット・チタラダタイ)に挑み、12回判定勝ち。17戦目にして無敗の世界王者となった。世界王座獲得に伴い、東洋太平洋王座は返上。11月12日の初防衛戦ではエミール松島(フィリピン出身、洛翠ジム所属)、翌1989年3月5日の2度目の防衛戦ではレパード玉熊をそれぞれ12回判定で勝利。

1989年6月3日、3度目の防衛戦でチタラダと再戦し、12回判定負け。世界王座から陥落すると同時に、プロ初敗戦となった。

1989年11月25日、再起戦で元WBC世界ライトフライ級王者李烈雨との同国人対決に10回判定負け。その後、2戦連続KO勝ち。

1990年9月29日、2階級制覇を目指し、WBA世界スーパーフライ級王者カオサイ・ギャラクシー(タイ)に挑むが、6回KO負け。これが金の生涯全戦績中唯一のKO負けとなった。

1991年6月1日、フライ級に戻しての世界再挑戦。WBA世界フライ級王者エルビス・アルバレスコロンビア)に挑み、12回判定勝ち。2年ぶりに世界王座返り咲きを果たす。その後、2度の防衛に成功。

1992年9月26日、3度目の防衛戦でアキレス・グスマンベネズエラ)に12回判定負けを喫し、王座陥落。その後、2年間試合から遠ざかる。

1994年9月25日、2年ぶりの再起戦でいきなりの世界挑戦。WBA世界フライ級王者セーン・ソー・プロエンチット(タイ)に挑むが、12回判定負けで2度目の王座返り咲きならず。

1995年3月25日の再起戦(ノンタイトル10回戦)で判定勝ちしたのを最後に現役を引退した。

獲得タイトル




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