郷田真隆 棋風

郷田真隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 19:31 UTC 版)

棋風

「生粋の居飛車党」[注 2]。稀に陽動振り飛車を採用することもある(第67期名人戦七番勝負第6局など)。妥協せず、また、踏み込みのよい直線的な攻め合いをする剛直な指し回しであり、「格調高い本筋の棋風」と評される。「一刀流」とも呼ばれる。

後手番のとき、2手目(後手番の初手)で角道を開ける△3四歩よりも飛車先の歩を伸ばす△8四歩と指すことが多い。また、△3四歩と指すにしても「後手番一手損角換わり」ではなく「横歩取り」などの戦形に誘導する。これに関し本人は、「後手番一手損角換わりは嫌い」と発言している[16]。しかし、2012年3月2日、A級順位戦最終局の対羽生戦において、一手損角換わりを初採用し、周囲を驚かせた(結果は郷田負け)。

序盤から長考することが多いが、持ち時間の少ない早指し将棋や残り時間の無い秒読みの戦いにも強い。これに関しては、加藤一二三との類似性がある。郷田自身は「加藤先生ご自身もおっしゃっていますが、『長考して当たり前の手を指す』というところも似ていますね。自分で言うのもなんだけど、長考派というのは手がよく見えるんですよ。いい手が見えなくて困っているというわけではなく、見えすぎて選択肢が多いから時間を使っているんです。読まなくても良さそうな手を拾い上げて、どの手がベストか考えているのですね」と語っている[17]

人物 ・エピソード

大友門下の棋士は2人で、唯一の兄弟弟子は森雞二である。

1992年に史上初の四段でのタイトルとなる王位を獲得する。デビュー当時は端整な容姿でも注目されており、「郷田四段のような二枚目棋士がきっかけで、女性ファンの拡大につながれば」[18]などの記述が見られる。また、1995年からは眼鏡をかけてイメージチェンジした[19]

パソコンやメールなどを用いた研究や情報交換には否定的・無関心であるとされる。棋譜データベースの利用についても、将棋会館に行けば棋譜はいくらでも参照できるとする。さらには、2007年第65期名人戦に挑戦した際の将棋世界誌インタビューでは、コンピュータ将棋の発展についても批判的な意見を述べた。そのため、前述にあるように、ネット将棋・最強戦で第1回の優勝者となったことは話題となった。その一方で郷田は、優勝の副賞でパソコンがもらえる件について、「まだ手元に届いてはいないのですけど、これからやってみようと思っています。いよいよデビューですね。」とコメントしたりもしているが[20]、2012年現在もパソコンには触れていないとコメントしている[21]

公式戦では、中原誠十六世名人との対戦で25勝6敗、米長邦雄永世棋聖とは12勝0敗の成績を挙げている。中原・米長との戦績は、羽生世代と言われる棋士の中でも、郷田が好成績となっている[注 3]。なお、米長の公式戦最終局は、2003年12月の王将戦挑戦者決定リーグで郷田との対局となっている(米長邦雄#引退を参照)。

森内名人と戦った第65期名人戦の第1局1日目(2007年4月10日)の午後、森内の手番(24手目)のときに、郷田が扇子を開け閉じして音を鳴らしたため、森内が苦情を訴えた。立会人の中村修らが対応に追われ、約30分間対局が中断した。この一局では郷田が逆転勝利している。

第28回(2007年)日本シリーズ2回戦の対佐藤康光戦で二歩を打ち、自身初の反則負けとなる。日本シリーズでは9年後の第37回(2016年)の2回戦・対佐藤天彦戦でも二歩で敗れており、一般公開の公式対局で二度反則で敗れるという経験をしてしまった。

第65回NHK杯将棋トーナメントにおける広瀬章人八段との対局で、指した後に何回も駒をそろえる仕草を行い、時には広瀬八段の秒読み10秒近くまで盤上の駒揃えを行い続けて、マナー違反ではと指摘を受けた。

第23期竜王ランキング戦1組1回戦(2010年1月21日)にて、寝坊により森内俊之九段との対局開始時間に間に合わず、規定時間も過ぎたため不戦敗[注 4]となり、対局料の不支払い・竜王戦月額手当年額の半分返納・1日ボランティア活動という厳しい処分を受ける。敗者復活戦である5位決定戦に回りそこを勝ち抜いたが、本戦で久保利明二冠(王将、棋王)に敗れた。

第70期順位戦(2011年度)の1回戦、渡辺明との対局で、角換わり腰掛け銀の先後同形から先手の渡辺が富岡流を用いた。後手の郷田は先手必勝の変化に飛び込み、終局まで100%定跡通りの手を指して投了した。感想戦で定跡だと告げられた郷田は「定跡ですか…そうですか…」と落胆した。

将棋世界』2012年6月号に掲載されたインタビューの中で、スポーツ観戦や映画鑑賞が趣味であることを明かしている。特にプロレスが好きで「観戦歴は35年を超える」という[22]。幼少時は全日本プロレス派だったとのことで、小橋建太については「デビュー時から引退試合まで見ている」と語っている[23]。近年は将棋好きで知られる田口隆祐新日本プロレス)と、『将棋世界』2014年4月号で対談を行ったのを機に交流が続いている[24]

若い頃はビリヤードを趣味としていた。ビリヤードは高校時代に始めたもので、腕前は本人曰く「将棋の棋力でいうとアマ2級くらい」[25]

2016年8月27日、8歳年下の一般女性と入籍[26]

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1982年00月00日:6級 = 奨励会入会
  • 1988年01月00日:三段(第3回奨励会三段リーグ<1988年度前期>から参加)
  • 1990年04月01日:四段(第6回奨励会三段リーグ成績2位) = プロ入り
  • 1992年09月09日:四段第33期王位 獲得 = タイトル獲得1期)
  • 1992年10月01日:五段(王位獲得など抜群の成績、通算93勝45敗)
  • 1995年11月20日:六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝、通算213勝105敗)
  • 1998年04月01日:七段(順位戦B級1組昇級、通算312勝136敗)
  • 1998年07月03日:七段第69期棋聖 獲得 = タイトル獲得2期)
  • 1999年04月01日:八段(順位戦A級昇級、通算351勝149敗)[27]
  • 2001年08月06日:九段(第72期棋聖 獲得 = タイトル獲得3期、通算432勝202敗)

注釈

  1. ^ このB級1組順位戦(第59期)では、郷田は終盤に2連敗、藤井猛竜王(当時)が2連勝したため、B級1組に昇級したばかりの藤井が大逆転で初のA級入りを果たした。
  2. ^ 奨励会入会の頃は風車戦法を多用していた。<『将棋世界』1997年7月号付録「全棋士出題 思い出の一手 PART2」、本人解説より>
  3. ^ ちなみに中原から棋聖のタイトルを奪取した経験のある屋敷伸之は、米長戦6勝4敗・中原戦10勝11敗。米長から名人のタイトルを奪取した経験のある羽生善治は米長戦16勝10敗・中原戦19勝10敗。
  4. ^ 日本将棋連盟の規定では、遅刻時間の3倍の時間を持ち時間から引き、それにより持ち時間が無くなった場合は不戦敗となる。

出典

  1. ^ 本校OB郷田九段が棋王奪取 - 駿台学園中学校・高等学校 2012年3月27日
  2. ^ 平成10年度版「将棋年鑑」(日本将棋連盟
  3. ^ 1985年の羽生世代 - 将棋ペンクラブログ・2014年7月30日
  4. ^ 昇段規定”. 日本将棋連盟. 2019年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月12日閲覧。
  5. ^ 第72期棋聖戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟)
  6. ^ 第73期棋聖戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟)
  7. ^ 第64期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟)
  8. ^ 第65期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟)
  9. ^ 第1回大和証券杯ネット将棋・最強戦(日本将棋連盟)
  10. ^ 第67期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟)
  11. ^ 第37期棋王戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟)
  12. ^ 郷田真隆九段、NHK杯初優勝! 矢内女流五段は司会を卒業 - NHKテキストView・2014年5月2日
  13. ^ 『将棋世界』2014年6月号 p.146 郷田によるNHK杯戦決勝の自戦記。 - なお挑戦者決定戦での3度もの敗退とNHK杯戦の優勝について、郷田は「たまにはいいこともないとね(笑)。」と著している。
  14. ^ 王将戦中継ブログ(日本将棋連盟)
  15. ^ 王将戦中継ブログ「久保九段が七番勝負制す」(2018年3月15日)ほか
  16. ^ NHK杯テレビ将棋トーナメントで対局者として出演したときの感想戦で発言。また、それから数年後、2009年度の竜王戦第2局で立会人を務めた際の前夜祭でも発言している竜王戦中継plus 2009年10月27日の記事
  17. ^ 棋士がよみとく「夏の十二番勝負」 #3 勝又清和 文春オンライン 2021年9月12日
  18. ^ 1990年度NHK将棋講座8月号、編集記事より
  19. ^ 将棋マガジン」(日本将棋連盟)1995年9月号
  20. ^ https://web.archive.org/web/20091212185344/http://www.spopre.com/shogi/070919/01.html
  21. ^ ニコニコ生放送第70期名人戦第5局1日目の大盤解説より
  22. ^ 郷田真隆棋王のプロレス - 将棋ペンクラブログ・2012年5月3日
  23. ^ 郷田九段、プロレスを語る - ニコニコ動画
  24. ^ 郷田新王将はプロレスファン 新日両国大会観戦で大喜び - スポーツニッポン・2015年4月6日
  25. ^ 郷田真隆棋聖(当時)「腕前は将棋の棋力でいうとアマ2級くらいです」 - 将棋ペンクラブログ・2015年1月12日
  26. ^ “将棋界最後の大物独身 郷田王将が結婚!大島優子似8歳下女性と”. スポニチアネックス. (2016年9月1日). オリジナルの2016年9月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160901031027/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/09/01/kiji/K20160901013271490.html 2016年9月1日閲覧。 
  27. ^ 近代将棋(1999年7月号)』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、166頁https://dl.ndl.go.jp/pid/6047371/1/84 
  28. ^ 郷田真隆九段 600勝(将棋栄誉賞)を達成!(日本将棋連盟)
  29. ^ 郷田真隆王将、800勝(将棋栄誉敢闘賞)達成!(日本将棋連盟)






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「郷田真隆」の関連用語

郷田真隆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



郷田真隆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの郷田真隆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS