部首
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 17:59 UTC 版)
歴史
漢字をいくつの部に分けるかは、時代や字書の編者によって異なっているが、大まかに言えば時代が進むにつれて、少ない部に分ける方向で整理されてきた。
本来は、例えば「心」を部分としている字を一つの「部」にまとめ、それらの部を代表する字として部の最初(首)に配置された字、ここでは「心」という字そのものが「部首」であった。そして「心」を部首とする部を「心部」のように呼ぶことにした。しかし、後に「部」と「部首」が混同され、「心」でなく「心部」のほうを「部首」と呼ぶようになった。
『説文解字』による部首分類
初めて漢字を部首によって分類したのは『説文解字』である。『説文解字』は篆書体(小篆)の漢字を540の部首に分けて体系付け、その成り立ちを「象形・指事・会意・形声・転注・仮借」の6種(六書;りくしょ)の原理に従って解説したものである。
『説文解字』の部首分類は、漢字の意味をその構成部分の持つ意味によって体系化することを目的としたものである。その上、ある漢字を元にして派生した漢字が1字でもあれば元になる漢字を必ず部首として立てるという方針で編纂されているため、「殺」や「放」などの形声文字も部首として立てられている。部首の数も非常に多く、「一」から「十」までの数字、「甲」から「癸」までの十干、「子」から「亥」までの十二支がすべて部首になっており、その中には部首字を意符とする漢字がなく部首字そのものしか属していない部首も多い。ちなみに数字・十干・十二支のうち『康熙字典』や現代の漢和辞典で部首とされているものは「一」「二」「八」「十」「乙」「己」「辛」「子」「辰」「酉」のみである。部首の配列法は意味の関連と字形の関連によっているが、数の冒頭である「一」で始まり、十二支の末尾である「亥」で終わるもので、陰陽五行の理念の影響を強く受けている。そのため、部首分類を利用して目当ての字を探し出すことは極めて困難であった。
以後、『説文解字』に倣って、部首によって漢字を分類した書物(これを字書と呼ぶ)がいくつか作られた。『玉篇』(542部首)、『類篇』(540部首)などの字書は、親字が楷書体となり、字解の内容も漢字の成り立ちでなく字義を中心としたものに変わっている。しかし、取り上げられている部首は『類篇』では『説文解字』と全く同じであり、『玉篇』でも違いはわずかである。そのため、検索については『説文解字』と同じ欠点を持っていた。
中国では、長い間、検索の利便性の点から、漢字を部首別に並べた字書の配列よりも、漢字を韻目順に並べた韻書の配列の方が多く利用されてきた。部首分類の祖である『説文解字』も、南宋の時代に部首を韻目順に並べ替えた『説文解字五音韻譜』が出るとたいへん広く使われ、一時は『説文解字』というとこの本のことを指すほどであった。『佩文韻府』(はいぶんいんぷ)や『隷辨』(れいべん)などが韻目順であるのは、検索にもっとも便利であるからである。
その後、遼の僧侶行均の『龍龕手鑑』(242部首)、金の韓孝彦・韓道昭の『五音篇海』(444部首)など、部首の数をしぼって索引の便を図った字書が出た。特に『五音篇海』は同一部首に属する漢字の画数順配列を(部分的にではあるが)採用している。しかし、これらの字書では、まだ部首自体の配列順に画数順は採られておらず、『龍龕手鑑』では部首を四声の順に配列し、『五音篇海』では五音三十六字母の順、すなわち部首字の子音順に配列する方式が採られていた。また、字書によっては、うまく部首に分類できない漢字を収めるための「雑部」が設けられている場合もあった。
『字彙』による部首分類
現在の主流である、画数順に214部首を並べる形は、明の万暦43年(1615年)、梅膺祚によって編纂された『字彙』によって初めて行われた。『字彙』は部首の配列順及びその部首に属する漢字の配列順をすべて画数順とした画期的な字書である。それ以前の字書に多く見られた所属文字の極めて少ない部首を大胆に統合したこともあって、本書の出現によって字書による漢字の検索は以前に比べて極めて容易になった。
『字彙』による所属文字の少ない部首の統合の実例を挙げる。『説文解字』では「男部」に「男、甥、舅」の3字が属するが、『字彙』では「男部」は廃止され、「男」は「田部」に、「甥」は「生部」に、「舅」は「臼部」に移っている。「甥」も「舅」も形声文字であり「生」「臼」はその音符、「男」は意符にあたる。形声文字の部首は、その意符の部分とする、という原則よりも、所属文字わずか3字の「男部」を廃止し、結果として検索をより容易にしている。
『説文解字』では象形文字は部首になるべきものであるが、その象形文字を意符として作られた漢字が存在しない場合や極めて少数である場合には、部首を立てても検索をいたずらに困難にするだけである。そのため、『字彙』では象形文字は、「甲」「申」「由」がいずれも「田部」に属するように、字義と無関係な部首に移しているものが多い。また、『字彙』の部首の中には、字源ではなく字形によって分類することによって検索に役立つことだけを目的に立てられたものも一部含まれている。例えば「亠部」の部首字の「亠」は漢字としては本来存在せず、検索の便宜上作り出されたものであり、「冂部」「干部」「爻部」なども部首字自体は象形文字だが、部首としては意符というよりも字形分類のために立てられている。
以上のように、『説文解字』の部首が漢字を意味により分類し体系づけることを目的としているのに対し、『字彙』の部首は漢字を検索するための形態による分類の道具、という面が強い。しかし、全体的には意味によって漢字を分類するという要素も残している。
『康熙字典』による部首分類
『康熙字典』の部首の配列順は『字彙』におおむね従っている。違いは2か所のみであり、1つは『字彙』が5画部首の冒頭を「玉玄瓜」の順としているのを、『康熙字典』が康熙帝の御名「玄」を5画部首の冒頭にするために「玄玉瓜」の順に改めているところと、もう1つは4画で气部と氏部の配列を入れ替えているところである。それぞれの漢字の部首の決め方は、『字彙』がどちらかというと字形に傾いているのを、『康熙字典』はやや字義優先に修正している。
なお、これらの214部の分類で、同画数の部首の配列順序には、全体を貫く原則は存在しない。しかし、2画では「人」「儿」「入」「八」部が、3画では「土」「士」部が、4画では「日」「曰」部が並んでいるように字形の類似した部首を並べる配慮がされているほか、4画で「牙」「牛」「犬」部が並んでいるように意味の類似した部首をまとめようとしていることも窺える。
注釈
- ^ 『現代漢語詞典』部首検字表説明には188部首とあるが、実際の部首番号は189まである。
出典
- ^ 『三省堂漢和辞典』第四版(1993) p.5
- ^ 『角川 新字源』改訂版、1994年。凡例 p.4
- ^ 『汉字部首表 GF0011-2009』中華人民共和国教育部 。
- ^ a b 『GB13000.1字符集汉字部首归部规范 GF0012-2009』中華人民共和国教育部 。
- ^ 『教育部、国家语委发布《汉字部首表》和《GB13000.1字符集汉字部首归部规范》』中華人民共和国教育部、2009年2月27日 。
- ^ 角川書店、『角川最新漢和辞典』(1981年(昭和56年)1月20日103版発行
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