造山運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/04 03:30 UTC 版)
原因論
造山運動や造山帯は19世紀末から1930年代に地質学の分野で発達した、広域変成作用や火成作用などによって地殻や山脈の地質構造が作られる過程を説明する理論であり、ギリシャ語のorosという語が使われたことから日本では「造山」と訳されたが、地向斜、造構造、褶曲と訳される場合もある[3]。
かつては、山脈を構成する地質の特徴から、地向斜が何らかの力により隆起に転じて山脈を形成したと考えられてきた。隆起させる力としては、欧米では地球の自転や地球の冷却・収縮による水平圧力であるなどとされ、日本では珪長質火成活動(Igneous activity)によって形成された花崗岩質マグマによる浮力であると説明された。前者の考えでは必ずしも全ての地向斜が造山運動を起こすわけではないが、後者では地向斜は必然的に造山運動を伴うことになり、これを特に地向斜造山論と呼んでいた。
しかし、それらの考えでは説明できない事例が少なくなかった[3]。メキシコ湾にはミシシッピ川から流れ込んだ土砂の堆積が1万5000メートル以上に及んでおり、またベンガル湾でもガンジス川がヒマラヤ山脈を削って流し込んだ土砂が500万立方キロメートルもあるが、いずれも造山運動の兆しはない。
プレートテクトニクス理論が登場してからはプレート運動による山脈や弧状列島の成因が論じられるようになり、大陸プレート同士の衝突・隆起による山脈の形成、海洋プレートの沈み込みに伴う火成活動による島弧の形成、ホットスポットの活動による海山列の形成などが考えられ、以前の地向斜に由来する造山運動論は支持を失っている[3]。日本では地球物理学の分野は早期にプレートテクトニクスを受容したが、地質学の分野は1980年代までプレートテクトニクスの受容に抵抗した。
以下では地向斜造山論による造山運動について記述する。
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