起亜自動車 日本での販売

起亜自動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 17:57 UTC 版)

日本での販売

  • 1992年、日本法人「起亜ジャパン株式会社」を東京都港区芝公園に設立。前身は「起亜自動車日本支社」。同じく「起亜自動車」技術開発部門の東京R&Dセンターが港区芝公園に所在。
  • 1995年には東京R&Dセンターを千葉ニュータウン千葉県印西市)に移設。地上9階建ての自社ビルを建設。1996年からは「起亜ジャパン株式会社」の一部機能が同ビル内へ統合され、1999年まで同所にて営業。現在は現代-起亜自動車グループの日本での開発拠点となっている。
  • 東京モーターショーへは、1991年より出展。以後、1993年、1997年、1999年と連続して出展した。
  • 「Kia Elan」を日本名「ビガート(Vigato)」として日本で発売。東京輸入車ショー、名古屋輸入車ショーなどに出展した。
  • 1999年に現代自動車傘下となってからは、部品輸入等を同社と共同化するなどの方針変更により、業務がほとんどない状態となっていた。2013年3月、起亜ジャパンを清算[9]
  • 日本進出中もフォード・フェスティバ(キア・プライド)の派生モデルの5ドア版「フェスティバ5」やセダン「フェスティバβ」(両方とも左ハンドル)、1997年にはロータス・エランのライセンス生産モデル「ビガート」を輸出していた。

デザイン

2006年9月1日に、ペーター・シュライヤーフォルクスワーゲングループ全体のデザイン部門の元トップ)がKIAのCDO(Chief Design Officer、最高デザイン責任者)として招へいされた。シュライヤーは、各車種に「タイガーノーズグリル」[10]として知られる新しいコーポレートグリルを導入した。 シュライヤーは「私は力強い視覚面での信号、印、識別子を求めた。車の前面にはこの認識やこの表現が必要とされる。車は顔を必要とし、私は新しいキアの顔は強力で独特なものだと考える。人目を惹くことは不可欠であり、顔は遠くからでさえ直ちにキアを識別可能であるべきだ」[11]と述べている。なお、シュライヤーは、2012年12月に起亜の社長ならびに現代自動車グループの最高デザイン責任者に就任した。

モータースポーツ

STCCのオプティマBDE
リオのRXカー

1990年代にセフィアがグループNで公認を取得しており、WRC(世界ラリー選手権)・APRC(アジアパシフィックラリー選手権)併催のラリー・オーストラリアにワークス体制で韓国人ドライバーが参戦し、N2クラス・N3クラスで1位を獲得している[12]

2010年に北米PWCのキネティック・モータースポーツを支援し、KIA Racingとして自動車レースへの初のワークス参戦を開始。以降ツーリングカーレースを中心に活動している。2014年にはPWCのGTSクラス(オプティマ)とTC-Aクラス(フォルテ クープ)でチャンピオンを獲得した[13]

2016年には元WRCドライバーのマンフレッド・ストール率いる技術者集団STARD(Stohl Advanced Research and Development)の協力を得て、TCR規定のシード GT TCRを開発。TCRインターナショナルにも参戦した。

STCC(スカンディナビア・ツーリングカー選手権)にも2014年からプライベーターがオプティマで参戦。TCR規定が導入されて以降はシードに車両をスイッチしたが、2017年で活動を休止している[14]

ラリークロスでは元WRCドライバーのジジ・ガリ率いるGGRXがリオをベースとしたRXスーパーカーを開発し、2017年から散発的に世界ラリークロス選手権(World RX)に参戦している[15]


注釈

  1. ^ 日本へは「ビガート」の名称で輸出された
  2. ^ a b c d e f g h i j k 当初は亜細亜自動車から製造・販売

出典

  1. ^ a b c d e f g h "All Mazda" 世界のマツダ”. maz.daa.jp. 2021年9月29日閲覧。
  2. ^ 水野 順子『97年アジア通貨危機 東アジア9ケ国・地域における 背景と影響を分析する』 第11章 韓国:財閥の倒産と通貨危機 アジア経済研究所、1997年、143頁
  3. ^ 日本再上陸のヒョンデとはこんなメーカー…昔とはちがう”. 株式会社イード (2022年2月15日). 2022年2月18日閲覧。
  4. ^ 現代・起亜車、米国で190万台のリコール 2013年4月4日、中央日報。
  5. ^ プレスリリース: June 22, 2017 米国における新車の初期品質が過去最高になったことが明らかに
  6. ^ 起亜自が年間30万台生産のインド工場を完成、世界4位の市場攻略に拍車 (東亜日報 日本語版/2019年8月2日掲載/2019年12月20日閲覧)
  7. ^ 韓国GMに続き起亜自も部分スト…生産に支障で暗雲立ち込める自動車業界”. 朝鮮日報 (2020年11月19日). 2020年11月19日閲覧。
  8. ^ 起亜自動車が「起亜」に社名変更 モビリティー革新加速”. 聯合ニュース (2021年1月15日). 2022年2月18日閲覧。
  9. ^ 韓国2位の起亜自動車 日本から撤収 2013年6月12日、KBS WORLD。
  10. ^ Ex-Copycats Find Their Own Styles”. ニューヨーク・タイムズ (2010年4月8日). 2010年4月12日閲覧。
  11. ^ Interview with Peter Schreyer, Chief Design Officer”. Kia Press (2010年3月2日). 2010年4月12日閲覧。
  12. ^ [1]
  13. ^ KIA RACING WINS 2014 PIRELLI WORLD CHALLENGE CHAMPIONSHIPS 09/15/14 | KIA MEDIA
  14. ^ STCC:2018年体制続々確定。ゴルフGTIは約半数の大増殖 AUTOSPORT web 2018年4月17日
  15. ^ [2]


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