財務大臣 (日本)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 16:49 UTC 版)
概説
1869年8月(旧暦:明治2年7月)、太政官制下で大蔵省の長として大蔵卿が設置され、初代大蔵卿に松平慶永が就任した。掌るところは金穀・出納・秩禄・造幣・営繕・用度とされた。大蔵との民部省の合併に伴い、民部卿との兼任制となり、内政・財政に関わる強大な権限を掌握した。1871年9月(明治4年8月)の大蔵省職制では、職掌は省内官員を統率して事務を総判することとされ、具体的には全国の民政および財政を取り扱うとされた。1885年(明治18年)12月の内閣制創設に伴い、大蔵卿は廃止され、職掌は大蔵大臣へと継承され、近代国家の確立とともに次第に権能が移管・整理された[4][5]。
1998年(平成10年)6月に「財政と金融行政(≠金融政策)との分離」(いわゆる「財金分離」)が行われ、大蔵省の所掌事務のうち金融行政に関するものが金融監督庁(後に金融庁に改組)に移管され、金融行政も金融再生担当大臣(金融再生委員会発足後は金融再生委員会委員長)が担当することとなった。その後、2001年(平成13年)1月6日には中央省庁再編により、大蔵省は財務省に改称された。大蔵大臣は財務大臣となり、初代財務大臣には元大蔵官僚にして元内閣総理大臣の宮澤喜一が大蔵大臣より引き続き就任した。また、金融行政は内閣府特命担当大臣(金融担当)(旧金融担当大臣)が担当している(財務大臣と兼務する場合もある)。
日本電信電話株式会社、東京地下鉄株式会社など国有株式の所有者の名義は、日本国政府や財務省ではなく、行政庁としての「財務大臣」となっている。
予算編成や税の徴収を担う大蔵省・財務省の長であることから、大蔵大臣・財務大臣は最重要閣僚ポストの一つとされており[6]、任務の重要性から有力政治家が就任するのが一般的で[7]、大蔵大臣・財務大臣経験後に内閣総理大臣となった者も多い。また、高橋是清、宮澤喜一、麻生太郎のように、内閣総理大臣経験者が就任する例もある[7]。
他
財務省では、善良な納税者および「納税思想」の普及に功績のある団体、個人に対して「納税表彰」を実施しており、納税表彰の最高位にあるのが財務大臣表彰である。
以下では、大蔵省または財務省の長として、近現代日本の財政責任を負った歴代の人物を挙げる。
- ^ 主な特別職の職員の給与 (PDF) - 内閣官房
- ^ 財務大臣 コトバンク 2022年8月21日閲覧。
- ^ e-gov法令検索 国家行政組織法第5条
- ^ “大蔵卿|アジ歴グロッサリー”. www.jacar.go.jp. 2023年1月6日閲覧。
- ^ “大蔵大臣|アジ歴グロッサリー”. www.jacar.go.jp. 2023年1月6日閲覧。
- ^ 『都市問題,第100巻、第1~6号』東京市政調査会、2009年発行、83頁
- ^ a b “「最強官庁」率いる財務相、首相経験者の起用も”. 日本経済新聞 (2020年9月16日). 2022年12月27日閲覧。
- ^ “麻生太郎財務相、在任戦後1位に 1875日で宮沢喜一氏抜く”. 産経新聞 (2018年2月12日). 2021年2月9日閲覧。
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