総合格闘技 アマチュア総合格闘技

総合格闘技

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 22:14 UTC 版)

アマチュア総合格闘技

国際総合格闘技連盟(IMMAF)が総合格闘技のアマチュア組織を統括し、世界選手権などのアマチュア国際大会を開催している。

2012年2月29日、国際総合格闘技連盟(IMMAF)が創設される。

2014年6月30日から7月6日の期間でアマチュア総合格闘技世界選手権を初開催。

2018年4月11日、世界総合格闘技協会(WMMAA)との合併を発表。

世界の総合格闘技

オーストラリア

オーストラリアで総合格闘技は全ての州・準州で認可されている。競技としては認可されていたものの、ケージの使用が禁止されていた州もあったが、ビクトリア州で2015年に、西オーストラリア州で2017年に使用が許可さたことで全ての州でケージの使用が解禁された。

バーレーン

バーレーン総合格闘技連盟(BNMMAF)が設立されており、2017年には首都マナーマIMMAFアマチュア総合格闘技世界選手権が開催された。中東最大の総合格闘技プロモーション「Brave Combat Federation」が存在する。

ブラジル

ブラジル総合格闘技アスレチック・コミッション(CABMMA)が設立されている。CABMMAはUFC on FX 7から正式に管轄を開始した。

ブルガリア

ブルガリア総合格闘技連盟(BFforMMA)が設立されており、元UFC選手のスタニスラブ・ネドコフが代表を務めている。

カナダ

カナダでは2013年6月5日に各州に総合格闘技を管轄するためのアスレチック・コミッションを設置する権限が与えられる法案が成立した。 それ以前は正式には認可されておらず、一部の州では認可されていたボクシングを拡大解釈し、混合ボクシング(Mixed Boxing)と分類するなどして開催していた。

中国

中華人民共和国で総合格闘技は国家体育総局の武術スポーツ管理センターによって認可されている。

フランス

フランスで総合格闘技は2020年1月1日に正式に認可された。認可以前には、総合格闘技のフルコンタクトの試合は禁止されていたため、フランスで行われる総合格闘技の試合は、グラウンドでの打撃攻撃が認められていなかった。

フランス総合格闘技コミッション(CFMMA)が設立されている。

ノルウェー

ノルウェーは完全な総合格闘技は禁止されている。ノルウェーでは1981年以降、ノックアウトを伴う全てのスポーツが禁止となっているが、2014年にボクシングは解禁された。総合格闘技は、レガース着用の義務や、肘打ち禁止などの打撃攻撃が規制された「Merkekamper」として政府から認可を受け行われている。

ノルウェー総合格闘技連盟(NMMAF)が設立されている。

スウェーデン

スウェーデンで総合格闘技は認可されており、スウェーデン総合格闘技連盟(SMMAF)が設立されている。

タイ

2012年にタイ・スポーツ公社(SAT)が、タイ国内で総合格闘技の試合を行うことを禁止した。保守的なムエタイ関係者や政府の高官らが慎重な姿勢を示し、一部では、タイの文化である国技ムエタイを守るために総合格闘技を禁止するべきという反発の声が出ていた。

2016年5月27日、タイ観光・スポーツ省の支援を受けてONE Championshipバンコクで大会を開催し、総合格闘技が解禁された[6]

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国で総合格闘技は州のアスレチック・コミッションにより管轄されている。2011年3月24日にウェストバージニア州、2012年3月8日にワイオミング州、2012年5月4日にバーモント州、2013年10月1日にコネチカット州、2016年4月14日にニューヨーク州で認可され、総合格闘技が全米で解禁となった。

ベトナム

2020年2月20日に総務次官が総合格闘技合法化法案に署名。ベトナム総合格闘技連盟(VNMMAF)が設立されている。

日本における総合格闘技

打撃技、組み技、寝技、投げ技の技術体系を総合的に網羅した武道は日本拳法など日本にも古くから存在した。

1976年、新日本プロレスアントニオ猪木プロレスのリングにおいて「異種格闘技戦」をモハメド・アリ(ボクシング)、ウィリー・ウィリアムス(空手)、ウィレム・ルスカ(柔道)らを相手に行った。

1984年4月、カール・ゴッチの弟子である前田日明藤原喜明高田延彦らが新日本プロレスから離脱して第1次UWFを興した。佐山聡(初代タイガーマスク)が加入後、自身が当時考案していた新格闘技(後のシューティング)という現在の総合格闘技ルールの基礎となる理論と概念を持ち込んだ。

猪木の異種格闘技戦もUWFも結局「プロレス」の域を出ることは無かったものの、これが日本の総合格闘技の萌芽となったと言われている。

1984年、UWFを離脱した佐山聡が「修斗」(当初は「シューティング」と呼ばれた)を創設。

1988年5月、第2次UWF(新生UWF)が設立され、一大ムーブメントを起こした。第2次UWFには後にパンクラスを立ち上げる船木誠勝が参加している。

1993年、「パンクラス」が設立された。

1993年11月12日、「UFC」の第1回大会UFC 1が開催され、グレイシー一族の一人、ホイス・グレイシーが小兵ながらも巧みなブラジリアン柔術で様々な分野の格闘家を破り優勝。この出来事はいわゆる「グレイシーショック」として日本にも伝播することになる。初期のUFCにはジェラルド・ゴルドーケン・シャムロック、大道塾の市原海樹らが参戦。これら日本でもトップクラスの実力者と見なされてきた者たちがホイス・グレイシーに実力差を見せつけられて負けたことも大きな衝撃だった。

1994年、「VALE TUDO JAPAN OPEN 1994」が開催され、ホイスの兄でありグレイシー一族最強とされていたヒクソン・グレイシーが参戦。空手格斗術慧舟会西良典らを破りトーナメント優勝。その翌年開催の「VALE TUDO JAPAN OPEN 1995」にもヒクソンは参戦し、リングス山本宜久、修斗の中井祐樹らに勝利して二連覇を果たした。

1997年、「PRIDE」が設立。桜庭和志らが活躍し、一大ムーブメントを起こした。2003年大晦日には3つの格闘技興行K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!PRIDE SPECIAL 男祭り 2003INOKI BOM-BA-YE 2003 が開催され、それぞれTBSフジテレビ日本テレビの地上波テレビ3局で同時間帯に中継放送された。

試合スタイル変遷

様々な格闘技の選手がそれぞれの格闘技の技術で試合に臨んでいた1990年代初頭は、既に総合格闘技での戦い方を確立していたホイス・グレイシーヒクソン・グレイシーに代表されるブラジリアン柔術が、ボクシングやキックボクシング、武術、柔道、空手など、総合格闘技においての寝技や関節技、ポジショニングの対応方法を殆ど知らない他格闘技を相手に独り勝ちの状態だった。

1990年代後半からは、レスリング出身者が元々持っていたテイクダウンとグラウンドレスリングの技術を総合格闘技用に対応させ、さらに総合格闘技で定石となる戦術のグラウンド&パウンドを開発すると、マーク・コールマンドン・フライダン・スバーンランディ・クートゥアといったレスリング出身の選手が優位を占めるようになっていく。PRIDEでは、桜庭和志グレイシー一族に4連勝、ビクトー・ベウフォートら打撃の強豪も圧倒し、世界から注目された。

2000年代に入ると、レスリングや柔術などのテイクダウンと寝技に対応した、打撃を主体とするスタイルのヴァンダレイ・シウバミルコ・クロコップなどの選手が活躍するようになる。PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルもベースにあるのは、投げ技と関節技が特徴のサンボだが、スタンドのパンチと、グラウンド状態での強烈なパウンドを得意とした。

今日の総合格闘技では、それぞれの技術の習得に差はあっても、打撃技、組技、寝技を全て出来なければ勝つのは難しくなっている。








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