田中双鶴 田中双鶴の概要

田中双鶴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 13:24 UTC 版)

来歴

徳島大学名誉教授を勤め、渭水会の会長であった。徳島大学に碑文揮毫「徳不孤」が建てられている。

1992年に出版された柴秋邨について書かれている「柴秋邨精説」では第17回徳島県文化賞を受賞した。その他にも1982年貫名菘翁について書かれている「貫名菘翁書畫集」や閑々子について書かれている「閑々子の世界」等の本も出版している。

2000年6月14日、前立腺腫瘍のため死去[1]

著書

単著

  • 『貫名菘翁精説』上野書店、1983年。 
  • 『柴秋邨精説』鳥跡社、1992年。 
  • 『閑々子の世界』1999、徳島県教育印刷。 

編著

  • 『鳥跡 選抜実力者100人書展作品集』鳥跡書道会、1978年。 
  • 『貫名菘翁書画集・貫名菘翁精説』上野書店、1983年。 
  • 『田中双鶴作品集』鳥跡社、1986年。 

共著

  • 富永眉峰、田中双鶴『徳島名筆二人』出版、1972年。 
  • 貫名菘翁、田中双鶴『楷書千字文』日本習字普及協会〈千字文双書 12〉、1980年。 

関連項目


  1. ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.382


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