清水寺 (安来市)
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清水寺 | |
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根本堂
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所在地 | 島根県安来市清水町528 |
位置 | 北緯35度24分8.1秒 東経133度16分54.8秒 / 北緯35.402250度 東経133.281889度座標: 北緯35度24分8.1秒 東経133度16分54.8秒 / 北緯35.402250度 東経133.281889度 |
山号 | 瑞光山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年 | (伝)用明天皇2年(587年) |
開基 | 尊隆上人 |
正式名 | 瑞光山清水寺 |
別称 | 安来清水寺 |
札所等 | 中国観音霊場28番、出雲観音霊場27番、出雲國神仏霊場11番 |
文化財 | 根本堂、木造十一面観音立像、木造阿弥陀如来両脇士坐像、木造阿弥陀如来坐像他 |
法人番号 | 7280005002387 |

清水寺(きよみずでら)は、島根県安来市清水町にある天台宗の寺。山号は瑞光山(ずいこうざん)。中国観音霊場第28番札所、出雲観音霊場第27番札所、出雲國神仏霊場第11番札所。開山は尊隆上人、本尊は十一面観世音菩薩。周辺は清水月山県立自然公園(清水寺地区)となっている[1]。
歴史
寺伝では用明天皇2年(587年)、尊隆上人により開かれたというが、一時廃れ、大同元年(806年)平城天皇の勅旨を受け、盛縁上人により復興されたという。
その後承和14年(847年)、唐からの帰路立ち寄った円仁(慈覚大師)により光明真言会が創められ、天台宗に帰依したという。
その後幾度かの火災と復興を経て、明徳4年(1393年)にほぼ現在の寺域が定まったが、戦国時代兵火に襲われ根本堂以外の建物は焼失した。伽藍はその後毛利氏及び松平氏により復興され、加えて安政6年(1859年)には信徒の手により三重塔が建立され、現在の形となった。
根本堂などが国指定重要文化財、三重塔などが島根県指定文化財となっている[1]。
伽藍
- 大門
- 開山堂
- 弁才天堂
- 本坊
- 蓮乗院
- 閼伽井堂
- 稲荷社
- 常行堂
- 護法堂
- 根本堂
- 毘沙門堂
- 護摩堂
- 鐘楼
- 三重塔
- 仁王門
文化財

重要文化財(国指定)
- 建造物
- 根本堂 附:棟札4枚 - 明徳4年(1393年)
- 彫刻
- 木造十一面観音立像 - 平安時代
- 木造阿弥陀如来両脇士坐像 3躯 - 平安時代
- 木造阿弥陀如来坐像 - 平安時代
- 木造摩多羅神坐像 嘉暦四年覚清作(1329年)
島根県指定有形文化財
- 建造物
- 彫刻
- 工芸品
行事
- 1月1日~1月5日 - 修正会
- 4月29日~5月5日 - 還誕祭
- 5月第4日曜日 - 仏教文化講座
- 8月23日 - 萬燈会
- 10月第3日曜日 - 光明真言会
- 12月17日 - 大梵焼祭
- 12月31日 - 除夜祭
所在地
交通アクセス
精進料理と清水羊羹
円仁(慈覚大師)が立ち寄った際、光明真言とともに精進料理と羊羹が伝わったとされる。現在、精進料理を提供する旅館が2軒・日本料理店が1軒、清水羊羹の販売店が4軒所在する。
- 精進料理
- 清水羊羹
前後の札所
脚注
- ^ a b 「清水月山県立自然公園」『島根県』。2024年11月6日閲覧。
外部リンク
「清水寺 (安来市)」の例文・使い方・用例・文例
- 清水寺
- 清水の舞台という,京都の清水寺にある舞台
- 清水寺の貫(かん)主(す)は,「愛は一方的なものであってはならない。愛とは他人の悲しみや喜びを理解することだ。」と話した。
- 清水寺はカード型のお守りを1枚1000円で販売している。
- その後,1から9の中から数字を1つ選び,清水寺で配布されているのと同じおみくじを受け取る。
- この漢字は,京都の清水寺で貫(かん)主(す)によって大きな紙に書かれた。
- 清水寺の貫主は「こういう字が選ばれるのは恥ずかしいこと。こういったことが起こったのは,人々が己の利ばかりに関心を持っていることが原因。自分を律することを忘れないでほしい。」と話した。
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