清水寺 (山梨市)とは? わかりやすく解説

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清水寺 (山梨市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 05:28 UTC 版)

清水寺

本堂
所在地 山梨県山梨市市川573
位置 北緯35度42分48.5秒 東経138度41分5.3秒 / 北緯35.713472度 東経138.684806度 / 35.713472; 138.684806座標: 北緯35度42分48.5秒 東経138度41分5.3秒 / 北緯35.713472度 東経138.684806度 / 35.713472; 138.684806
山号 岩泉山
宗派 真言宗智山派
本尊 千手観世音菩薩
創建年 不詳
開山 伝・行基
中興年 大永元年(1521年
中興 実成
正式名 岩泉山清水寺
別称 石清水観音
札所等 甲斐国三十三観音霊場19番札所
法人番号 4090005003630
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清水寺(せいすいじ)は、山梨県山梨市にある寺院宗派真言宗智山派山号は岩泉山。本尊千手観世音菩薩。甲斐国三十三観音霊場第19番札所。

概要

寺伝によれば、旱魃祈願のために行基が創建したという。当初は滝之沢というところにあり真福寺と称し、石清水とも称していた[1]。その後の寺歴は明らかではないが、大永元年(1521年)に実成が滝之沢から霞森山のふもとの現在地に移して中興した。『甲斐国志』によれば、普賢寺本尊台座の「堂社並岸泉寺、自大永二年至天文廿二年再興」という銘文を記録している。「岸泉寺」とは清水寺を指すことから、本寺は大永年間(1521年1528年)から天文年間(1532年1555年)に普賢寺や大井俣窪八幡神社とともに再建された。 その後火災にあったが、江戸時代の寛永十年本末帳によれば、大井俣窪八幡神社別当寺である普賢寺を本寺として、寺領を寄進されていることがわかる。その後、明治時代廃仏毀釈により本寺の普賢寺が廃寺となった後、普賢寺の寺物を多く所蔵している[2]

本尊の千手観世音菩薩は「石清水観音」と称され、その名称から雨乞いの利益で知られ、文久2年(1862年)には、祈祷の結果大雨が降ったという。本寺の石清水観音は、甲斐国三十三観音霊場の19番札所の本尊として信仰を集め、現在でも毎年3月29日に観音祭りが行われている[3]

文化財

山梨県指定有形文化財
  • 木造釈迦如来坐像 昭和58年12月7日指定
  • 木造勝軍地蔵騎馬像 平成29年3月2日指定
山梨市指定有形文化財
  • 木造千手観音菩薩立像 平成19年3月31日指定

伽藍

  • 山門
  • 本堂
  • 庫裏

御詠歌

岩清水
流れをとえば
きよたきの
さこそ浄土も
ゆかしかるらん

前後の札所

甲斐国三十三観音霊場
18 清水寺 -- 19 清水寺 -- 20 光雲寺

参考文献

  • 市川忠三/坂上繁旦 共著『甲斐三十三観音順礼記』霊場復興会 1975年
  • 相沢晋夫『はるかなり遍路の旅』トリオ 1988年
  • 山梨市史編さん委員会 編『山梨市史』文化財・社寺編 山梨市 2005年
  • 藤巻勝『甲斐国三十三ヶ所順礼記』サンニチ印刷 2005年

脚注

  1. ^ 市川忠三/坂上繁旦 共著『甲斐三十三観音順礼記』霊場復興会 1975年
  2. ^ 山梨市史編さん委員会 編『山梨市史』文化財・社寺編 山梨市 2005年
  3. ^ 藤巻勝『甲斐国三十三ヶ所順礼記』サンニチ印刷 2005年



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