毛利八郎 毛利八郎の概要

毛利八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 22:12 UTC 版)

もうり はちろう
毛利 八郎
プロフィール
愛称 ハッチ、毛利ちゃん
出身地 東京都目黒区中目黒 
生年月日 (1954-12-18) 1954年12月18日(69歳)
血液型 AB型
最終学歴 早稲田大学教育学部
所属事務所 アプローズキャリア
職歴 関西テレビ放送編成局アナウンス部→スポーツ局長→アナウンス部付嘱託契約のシニアアナウンサー
活動期間 1978年 -
ジャンル スポーツ報道情報番組
配偶者 あり
公式サイト アプロースキャリア
出演番組・活動
出演経歴 本文参照

アナウンス部付け嘱託契約のシニアアナウンサー、アナウンス部長やスポーツ局長を歴任した。愛称ハッチ[1][2]

来歴・人物

早稲田大学教育学部を卒業後、1978年入社。同じフジテレビ系列の同期には、元東海テレビアナウンサーの磯野正典がいる。1980年代から1990年代スポーツ中継を主に担当していた。『大阪国際女子マラソン』では移動中継車からの実況を1999年まで、長居陸上競技場からの実況を2000年から2008年まで務め、2010年には優勝インタビューも務めた。更に2006年の『サントリーレディスオープンゴルフトーナメント』ではゴルフ中継のラウンドリポーターを務めた。

スポーツ担当の傍ら、関西ローカルの朝ワイドショー『ワイドショーWho』『ほっとタイム10時です!』の司会も務め、『FNNスーパーニュースほっとKANSAI』のメインキャスターも務めた。2006年3月31日の番組最終回と同時に、夕方ニュースワイド番組から降板した。後番組となる『FNNスーパーニュースアンカー』はかつてアタック ザ・ヒューマンを担当していた後輩の山本浩之がアンカーマンとして夕方の番組に復帰することとなった。 2006年8月から、定年退職した杉山一雄の後任として、関西テレビのアナウンス部長も務めた。

2007年1月21日に『発掘!あるある大事典II』の不祥事によるお詫び放送に出演。制作した関西テレビを代表する形で謝罪した。そのときの映像は、他局のニュース番組や一部スポーツ紙等でも全国的に報道された。また、同年3月27日(22:00 - 22:15)の『発掘!あるある大事典II』の訂正放送にも出演し、翌週4月3日(22:00 - 23:09)に放送された検証番組『私たちは何を間違えたのか 検証・発掘!あるある大事典』では後輩の関純子とともに司会を担当した。

2011年6月1日付でアナウンス職を離れ、スポーツ局長に。

2014年に定年を迎えるも2017年に再びアナウンス部に戻り、シニア職でアナウンサーとして活動。2019年に嘱託社員期間満了に伴い退職。退職後は、講演等をメインに活躍している。

現在の出演番組

なし


  1. ^ 「プロ野球ニュースイヤーブック選手名鑑'99」(1999年、ザ・マサダ刊)の担当アナウンサー名鑑参照。
  2. ^ やしきたかじん「毛利ちゃん」と呼んでいた。


「毛利八郎」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「毛利八郎」の関連用語

毛利八郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



毛利八郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの毛利八郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS